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ぶつかってしまったんじゃ

どうも村田です

ならず者国家は果たして

ナチスだけなのか。

新しい恐ろしい疑問が

人類の頭からあれ以来

離れたことはないのだ

「今、目の前で私たちに

起きている現実と、この

現実への言葉にならない

不安と恐怖。

それを屈折して受け止めて

いるわが国の戦後。

こういうものを正確に区別

して考えていかなくては

いけないと思うのですが、

先ほど述べたように敗戦後の

厭戦感情や耽美なだけの平和

といったイデオロギーまみれの

空想がごちゃ混ぜになって、

生物としての率直な恐怖への

感受性と、地球上で起こって

いる新しい恐怖に対する

弁別力が日本人は失われていく

ばかりなのです。

混同されているこの事態を

正確に見定めていくには

どうすればいいかが

今問われているのです」

こういう文章も、次の

文章も少し具体的なのだ

「平成29年、北朝鮮はかつて

ない規模でミサイルを発射

しました。

日本は外交も政治も実は茫然

自失し、国民は手の打ちようの

ない孤立状態にあったのを

思い出してください。

ミサイルの発射の動きに

緊張が高まる同年2月3日、

アメリカのマティス国防長官が

来日し、

日本全土に起こった救い手を

待ち受けていたかのごとき、

ため息をはくような安堵の

感情を私は見逃すことが

できませんでした。

長官は、尖閣諸島で日米安全

保障条約第5条が適用される

と言明されました。

あの日、テレビ各局が例外なく

この事実を日本への朗報として

真っ先に特大級で伝えました。

翌朝には産経、読売、朝日の

3紙が1面トップで強調しました。

右から左まですべてのメディアが

『あなうれしや、ありがたや、

ほっとした。やれやれ良かったね』

というムードで報道したのです。

これを読んでいる皆さんも

あの日の国民感情をぜひ

思い出してください。

正直でありましょう。

こういう問題に対して

われわれはもっと自分

に対して正直になってください。

トランプの登場以来、わが国の

安全保障がどうなるか見えなく

なっていた時だけに、

マティス長官の第一声は緊張を

もって迎えられたのです」

あのときは新しい

トランプ大統領の対日政策が

分からなくて、どうなるか

分からなかったのです。

「当時、ドイツやイギリス、

中国といった国の観察記に

比べ、日本の対米報道は全く

客観的ではありませんでした。

アメリカの新政権が対日政策

を万一、変えたらどうしよう。

右も左もそればかりで、

根底にある不安の感情と

いうのはいろいろな場面で

出るものですが、

このときも1つの典型として

現れました。

だから日本のメディアは

トランプを客観的に批評する

余裕もなく材料も持たなかった

のです」

あのわずか何日間か、

2週間、3週間の間なのだ

「そしてアメリカの軍事力と

経済力で日本を守ってほしい

という望みを背負って安倍さん

がアメリカに出かけるとなると、

見送る日本側の空気は

『どうかわが国を守ってください』

とさながら救世主を送り出すか

のような気分でした。

この時に限っては安倍さんの

悪口ばかり言っている

メディアが、首相のことを

卑屈だともみっともない

とも言いませんでした」

いやもう、正直だったら

自分たちがどんなにおのの

いたか、そのときの感情を

忘れるはずがないはずなのだ

不安で仕方がないのだ

「『どうかよろしくお願いします』

と日米両政府首脳にこうべを

垂れているのが今の日本人一般の

気持ちです。

心の奥底に冷え冷えとした

寒気を抱えて生きている。

何が起こってもはね返すだけの

軍事的対応力を持たない国家の

悲哀を、日本国民は今度の

米政権交代の機会ほどに強く

感じたことはないでしょう。

悲しいかな、中国のある

メディアはそれを見越して

マティス国防長官は安倍政権に

定心丸、

心を定める丸と書いて

精神安定剤のことだと思うの

ですが、定心丸を与えたと

伝えたそうです。

今も昔も変わりません。

日本人の世界に対する不安と

恐怖の感情は声には出さない

のですが、

世界中が荒れに荒れて自分で

はどうすることもできない

わなにはまる不安に常に

おびえているのです。

ひょっとすると幕末の浦賀に

黒船が来航したときもこんな

不安に包まれたのかもしれません」。

でも翌日になると忘れて

しまうのだ

それが問題なのだ

この文章は『月間正論』に、

出ている45枚の大論文を

書いているのだ

「陛下、あまねく国民に

平安をお与えください。

あの戦争は何があったのか

を問い続けて」

という題なのだ

これは何かというと、

天皇陛下が靖国を参拝されない、

これに対して1文書いてください

と言われて、

難しいし危ないから変な

ことを書けません。悩んだあげく、

「私の戦争観がこうであった」

ということを言って、陛下に

「もはや謝罪でもないし

反省でもない。そういう

時代は終わりました。

私が見た戦争はこういうこと

でした」と、

この戦争は悲劇であったと

いうことなのだ

「もはや謝罪でもなければ

反省でもあるまい」これは

冒頭の文章なのだ

「私は先の大戦を巡るどの

問題を考える際にもこう

つぶやいています。

孤立した単独の一文明国家で

あったわが近代史が、世界の

あらゆる地域の覇権国家を

次々に制圧してきた現在の

帝国アメリカの成立史に

ぶつかってしまった

日本の近代史が

帝国アメリカの誕生時代に

ぶつかってしまったのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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