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疲れてしまうんじゃ

どうも村田です

日本は何も特別悪い

ことなんか何もして

いないのだ

しかし、アメリカは

中立国であるにも

関わらずイギリスから

頼まれて

アイスランドの予防

占領をしているのだ

やっていることは

どちらがおかしいか

分かると思うのだ

同じ時期なのだ

日本はすでにフランスと

同じ陣営にあって、

フランスはドイツの占領下

にあるわけだから、

パリ政府と日本は

話し合いのうえでベトナムを

武力で占領したのではないのだ

何度も申すが、アメリカは

中立国の立場にありながら

軍事占領し、ドイツ軍を

追い返しているのだ

日本とアメリカのどちらが

不当で、どちらが

軍国主義的な暴挙であった

と言えるだろうか

少なくともアメリカは

自分も日本と同じような

ことをやっていたのである

から、日本の出方も分かって

いたはずで、

寝耳に水でも何でもなく

ことさらにアメリカが日本の

行き過ぎた軍事行動に驚いた

という話であるわけがないのだ

当たり前のことで、どこの

国もやっていることなのだ

それなのになぜ戦後日本で

書かれた歴史書は

「日本は南部仏印進駐と

いう暴挙に出て、アメリカの

虎の尾を踏み、ついに

戦争になった」

ともっぱらそういう言い訳

ばかりするような形でしか

書かれないのだろうか

日本の戦後の歴史関係の

メディアが一貫して、

旧敵国の立場から歴史を

見ているからなのだ

わが国の大局を見失った

負け犬の歴史観に立って

いるからなのだ

それがおかしいと

いうことを強く

言いたいのだ

以上はほんの一例で

直観してこういうものを

読むのが嫌で戦後書かれた

近現代の歴史書、

新しい文献などいろいろと

出ていたのだが、

読まないようにしていたのだ

そうなるとだんだん

読むものがなくなって

しまって困るのだ

本当に最近でこそよく

書かれている、いろいろな

素晴らしい評論が出ているが

長いこと何も読むものが

なかったのだ

日米戦争に関する戦後の

執筆者はほとんど例外なく、

半ばはアメリカの立場に

立って書いていると

言わざるを得ないケースが

圧倒的に多かったのだ

戦争が終わるとたちまち

戦勝国の立場に立って、

敗戦国の自分の昨日までの

思想と生活を裁く、

批判者の目で自分の国を

眺め、そのような不自然さ

についてあまりにもそれが

露骨な場合があるのだ

名前を挙げればそういう

人がたくさんいるのだ

そういうものはおかしい

と気が付く人がだんだん

増えてきているのだ

しかし、それは露骨な

場合に限られるのであり、

そこまで露骨ではなくても

日本軍の南部仏印進駐は

当時としては軍事的

必然性があり、当然の

行動であったなどという

ことはアメリカの

アイスランド進駐と比べて

みなければ堂々と主張

できないのだ

「アメリカが常に正しく

日本はとにかく短気で、

愚かで、無計画で、

非道徳であった」

というイメージを前提に

した記述をわれわれは

長い間ほぼ無理やりに

受け入れざるを得なく

なっていたのだ。

戦後の日本のメディアの

ゆがみと変更の根っこの

ところはすべて今のこの

ケースに類似しているのだ

これは歴史の書き手の

病理であることに簡単に

気付かなくなった病理で

あるのだ

1つはこういうことが

あったのだ

長い間マルクス主義の

変更がオピニオンを

ゆがめていたから

まずそれに対する腹立た

しさがありそうすると

今のアメリカに対する

気兼ねから戦勝国理論

というのは少し違うのだ

つまり長い間

マルクス主義の変更が

あったから、それを

正している方が大事で、

例えば皆あまりもう

知らないかもしれない

けれど、私の世代が散々

見ていたのは、

すぐこういう言い方を

するのだ

「金持ちには富を否定する

自由はあるが、貧乏人には

そんな高級な自由はない。

悪いのは金持ちと貧乏人の

違いを作る世の中の仕組みだ」

というような議論がまかり

通っていたのだ。

例えば

「貧乏人は麦を食え」

と言った池田勇人は

大蔵大臣だったか。

「仕方がないじゃないか。

貧乏人は麦を食うしかない

のだから麦を食え」

と言ったのが大スキャンダル

になったのだ

それは正直にそう言った

だけの話であって、今でも

そうなのだろう

その手のことを言ったら、

言った方が悪いという

騒ぎになるのだ

そういうことは今でも

メディアはあるのだ

それではものが言えなく

なってしまうわけなのだ

「金持ちに自由はあるけれど、

貧乏人はそういう自由も

ないのだ」

というようなことをすぐ

言って、物事の聖者を。

例えば先ほどのベトナムの

話なんかには話がいかないのだ

もっと手前のバカバカしい

議論で論争疲れをして

しまうのだ

そしてバカバカしい方の

議論というのがマルクス

主義批判だとすると、

その次にやっと

東京裁判史観と言われるような、

政治とベトナムの話のような

ところにいくわけなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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