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実態なんじゃ

どうも村田です

まだ出来事はたくさん

あるのだ

一番言いたいことは、

「ここにまず立ち至った、

西洋人の紳士の気性、

冒険心、情熱と果てしなき

戦い、これが信長にも

秀吉にもなかった」。

信長と秀吉の時代でも

あるのだ

それに続く時代が、もちろん

鎖国という政策が与えられた

ために日本政府はとらなかった、

やむを得ないということは

あるのだ

その後、次に出てくるのは、

明治にならないと日本人が

跋扈(ばっこ)、勇躍進

できないわけだから、

そう攻めるつもりはないのだ

けれど、

「その可能性についてすら、

信長と秀吉にはなかった」。

信長は、中国大陸で満州族が

手を伸ばして清朝を打ち立てる

という事件に対して、十分に

競争意識を持っていたのだ。

隣国アメリカ大陸はもう既に、

信長の時代には各国の標的に

なっていたわけなのだ

「何だろう」というように、

この巨大な大陸が二つ突然

出現し、その後のヨーロッパの

歴史は、

この二つの大陸をどのように

占拠し、どのように地図に線を

引いて自分のものにするか

ということに無我夢中に

なっていたのだ。

そのために各国の国内の

法律も文化も変わってしまう

ほどだったのだ

それがアメリカ争奪戦だった

わけなのだ

そこで大事なことを一つ

申しあげるが、その時に

ヨーロッパはアジアというもの

を意識したと言うが、

アジアは彼らにとっては

インドと中国までなのだ

インドと中国はアジアだが、

そこから先の太平洋は圏外

なのだ

考えてもいなかったのだ

考えてもいなかったから、

「どんなバカなことを

しても構わない」

ということを思っていたのだ

それが我々が見てきた現実

動かない現実なのだ

ここから日本人は立ち上がれる

のか、という問題になってくる

わけなのだ

もうみんな、がっくりと

してしまっているのだ

ヨーロッパ人のこの激しい

地球争奪戦、地上に線を

引いてそして囲い込み、

線の外側へ一歩でも先を

争って出ようとする熱病の

ようなパッションなのだ

しかし、これは本当に

人類に普遍的で必要な

情熱なのか、

それとも17、18世紀の

ヨーロッパ人特有の特別な

感情であるのか、

にわかには分からない

はっきりできないのだ

もちろん、ガリレオとか

デカルトの幾何学的精神が

関係したことは分かるが、

科学とキリスト教の信仰と

暴力は三位一体であり、

それが一体となったものは

日本だけではなく、

中国にもインドにも

なかったものなのだ

日本にもなかったものだ

そういうことを事実の

問題として、

日本列島はこのような

嵐の中を翻弄(ほんろう)

されてきたのだ

ここで、先の大戦の話

ということになるのだ

今まで日本列島の歴史、

つまり単なる日本史でも

なければ日本の政治史

でもなく、

列島であるわれわれの

国土をつらつらと眺めたら、

どのような眺めが展開

されたであろうか

ということをかいたのだ

そして、縄文時代から

江戸の初期ぐらいまで

少し眺めてみたわけだが、

極めて恣意的な、そして

飛び飛びの話をわがままな

観点でまとめたということで、

ご容赦いただいた次第なのだ

話を続けると非常に難しく

なるので一遍に飛んで、

今度はわが国を襲った

大戦の歴史というものを

同じ観点から眺めてみたいと

思うわけなのだ

ただ、今日本列島と申したが、

気持ちは従来の普通の

固有名詞の人物や天皇の

名前がずらずら出てきたり、

いわゆる何々時代という

ような歴史で捉えることの

できない問題だと思うのだ

つまり、それを考える

うえでわれわれは常に

自分の国ばかりを

見ているけれど、

世界から見たら日本の国は

どう見えたかという観点が

なければダメだということ

を今まで何度も書いてきたが、

近現代史に入れば、ますます

そういうことが言えると

いうふうな気がするのだ

われわれはアメリカという

大国と干戈(かんか)を

交えたわけであるが、

戦後、われわれはなぜ

「あれほどの大国である

アメリカと戦争をせざるを

得なかったのか」

と問い続けてきたが、

「なぜアメリカは日本と

戦争をしたのか」

と問うことを怠ってきた

のではないだろうか。

昭和20年からこの方、ずっと

長い間わが国の国民の無言の

習性と化してしまったのは、

「なぜ日本が戦争をしたのか」

ということばかりを問うてきて、

そして相手国、特にアメリカが

だが、

「アメリカがなぜ日本

と戦争をしたのか」

を考えないできているのでは

ないだろうか。

むしろずっと不思議に

思ってきたわけで

最近では、あの戦争の

ことなど若い人はほとんど

考えないのだそうであるのだ

若い人だけではなく、年配の

学者や名だたる官僚や政治家

といえども考えたくないこと

は考えないことにしている

という習性があるのだ

しかし、よく考えて

いただきたいのだが、

沖縄の普天間基地移転問題も

アメリカ国債の購入の負担も

アメリカ製武器の全面依存も、

技術大国と言われている

日本が大型航空機を作れない

ということも、

みんなわが国があの戦争に

敗北したという一遍に集約

されるのであるのだ

それのみならず、国内133カ所の

アメリカ軍基地、施設、区域が

存在すること自体が敗北に

近位しているということなのだ

これはもちろんみんな

知っておるのだ

知っていて、あまりその

ことを真剣かつ神経質に

問わないで、

「まあいいではないか、何とか

これでやっていけるのだから」

というような調子であって、

格別支障はないということで

やり過ごしてきているのが

実態なのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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