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見て見ぬふりしたからじゃ

どうも村田です

1641年なのだ

ロシアが徐々に出て

くるのだ

「オランダ、ジャワとその周辺

諸島の決定的支配権を握る」

「1651年ロシアが

イルクーツク市を創設」

「1665年西太平洋における

鄭成功(ていせいこう)の

海軍勢力が最高潮となる」。

「1681年鄭は海戦に敗れ、

ヨーロッパが世界の海の

ほぼ全域を支配する」

そして、

「1689年のロシアと清国の

間のネルチンスク条約」

というのも有名なのだ

「1698年ロシアによる

カムチャッカ半島の

初探検が行われる」、

これは重要なのだ

カムチャッカ半島なのだ

ベーリング海峡はこれで

要するに、今度はここが

大きな争いの場所になって

くるのだ

それは言うまでもなく、

ロシアが出てくるからなのだ

だから、ベーリング海峡が

重要なのだ

これで大体、ひと繋がりの

物語のように読めると

思うのだ

このような年表は世界に

一つしないのだ。

この今書いたドラマを、

つまり、西洋とそれから

中国、日本、ロシア、

これらを全部つき交ぜて

書いた歴史年表というのは

ないのだ

そういう歴史はやらないから

なのだ

これでは

「全体がどのようにして

動いたか」ということが

分からないのではないかと

思うのだ

着々と日本の周りにいろんな

力が、影響が押し寄せて

くるのだ

着々と日本の周りに

近づいてくるのだ

主人公としての日本列島の

物語というのはそういう

ものなのだ

秀吉から家康への日本史の

転換期のことはたくさんの

本に詳しく書かれているが、

今書いているようなことは

書かれていないのだ

その次、ロシアがシベリアを

ゆっくりと東進してくるのだ

この時、まだロシアは

海上には出てこないのだ

そして、マラッカ海峡から

香辛料の集散地、モルッカ

諸島にかけて、

イギリス、オランダ、スペイン、

ポルトガルなどが争うのだ

しかし、決して北太平洋、

日本列島の東方海上には

立ち入っていないことに

改めて注目して欲しいのだ

お分かりだと思うが、

太平洋全体の地図を眺めて

みると、

オーストラリアも

インドネシアも、地図では

太平洋の西に偏り過ぎていて、

東側は海ばかりですごいのだ

インド洋も大西洋も広いのだが、

太平洋の広さはその比ではない

のだ

こちら側に偏り過ぎていて

こんなに空いているのだ

これを地球儀で見ると、

北太平洋の広さに改めて

驚くのだ

南太平洋を見て欲しいのだ

もちろんこちらも広いのだが、

ここにはタヒチなどいろいろな

島があり、

北太平洋はハワイがポツンと

真ん中にあるだけでほかには

何もないのだ

何度書いた通り、日本政府は

外国船団に恐怖を感じた

ことはないのだ

「平戸は長崎で交易を

求めてくる外国に対して

優越した態度で説明し、

南の海で何が起こっても

涼しい顔をしていました。

金、銀、銅の埋蔵に恵まれ、

自分から危険を冒して海外へ

出ていく必要はなかった。

せいぜい台湾でオランダ人と

衝突事件が起きるぐらい。

それもオランダがすぐに

折れてくれた。もし、

日本列島が」。

良いか。ここ・・・

「もし日本列島が

フィリピンの位置にあれば、

南蛮勢力は北からも東からも

攻めることができた。

徳川幕府がどの程度、

自分の地理的環境に

気が付いていたかは

分からないのだ

が、日本列島は北太平洋

という不可侵海域に無言の

うちに守られていたのです」。

ところが、今書いた

マゼランもドレークも

16世紀の出来事なのだ

17世紀になるとヨーロッパは

自分の戦争で忙しくなり、

いわゆるヨーロッパの宗教戦争の

時代なのだ

だから、一つは徳川幕府が

安閑(あんかん)として

いられたのはヨーロッパの

宗教内乱のせいでもあるのだ

1618年から1648年というのは、

30年戦争があり

徳川幕府が安閑(あんかん)

としていられたように、

いつも外の出来事が関係する

のは、

例えば明治維新のころにも

アメリカの南北戦争があった

のだ

それが原因で、アメリカの

立ち位置が弱くなったのだ

その間に、イギリスと

フランスが幕府と鹿児島に

入るということがあり

そのように世界の歴史の

中で日本の歴史は動いて

いるのだ

その辺りをきちんと

書かないのだ

それがいかに大きいこ

とだろうか。

それで、ほとんど日本の

歴史が動いているというのに、

日本の歴史家はそこを見ない

のだ

一説には、日本の歴史学者は

外国史に関心を持つと学会から

追放されてしまうと言われて

いるのだ

「北太平洋の平和はさらに

約100年ほど続きましたが、

平和が続いたのは周りの国々

が見て見ぬふりをしていた

からであります」。

ところがそこで、

ジェームス・クックが登場

するのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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