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出てくるんじゃ

どうも村田です

浜田弥兵衛という

長崎の町人は私兵を

募って、すごいのだ

「470人の乗組員を乗せた

船2隻をもって台湾に

向かった。

台湾ではノイツが甚だ恐れ

おののき、剛毅(ごうき)に

きゅうきゅうとした揚げ句、

卑怯な策を講じていた」。

だから誰かが先走って行き、

また誰かが小さい船で

先走って行っているわけ

なのだ

簡単に言えば、いちいち

できていたわけなのだ

「通商を申し出てきた

浜田弥兵衛に向かってノイツは、

『浜田自ら上陸して、台湾

総督に請願するのは慣例である』

と返書で言ってきた。

そこで浜田は部下5人と

ともに上陸し、ノイツの官邸に

赴くやいなや、たちまち

捕縛監禁されてしまったのだ。

しかもその間に日本船が襲われ

武装解除させられた。浜田は

『自分は何も求めないで

すぐに帰国するから釈放しろ』

と要求したが」、

これは

「もうこのまま帰るから、

何も言わないから釈放せよ」

ということなのだ

「ノイツは傲然(ごうぜん)と

拒否した。その瞬間、浜田は

いきなりノイツに飛ぶ鳥のごと

不死鳥のごとく飛びかかり、

右手の短剣を胸に当て、左手で

ひげをつかみ仲間の手を借りて、

ノイツを高手小手に縛り上げた。

『去らねば息の根を断つぞ』

と脅しのポーズのまま6日間

交渉が続けられた。

ノイツの息子を含む5人の

オランダ人を人質とする

こととした」。

息子を連れて行くことまで

やるとはすごいのだ

「ノイツの息子、5人には

多額の賠償を支払わせて、

浜田弥兵衛一行は意気揚々と

長崎に帰国した。

事件は末次平蔵を通じて

幕府に報告されたのだ。

今回ばかりは、

『浜田らの豪胆な行動は

正当である』ということを

幕府は認めた」。

だから、普段は認め

たがらないのだ

いつもは

「もう騒ぎを起こすのは嫌だ。

もう静かにしといてくれ」

ということなのだろう

「平戸の貿易禁止が通告された」

「平戸はもう貿易させないぞ」

ということなのだ

「驚いたのはジャワ本島に

いるオランダ総督クーンである。

あの愚直果敢な男が日本の決定

にだけは手が出せない。別の

特使を日本に派遣し、謝罪した

がうまくいかない。

末次平蔵はあくまで断固たる

強行政策を主張し、

『台湾における二つの城塞

(じょうさい)は日本貿易の

障害であるから、

それを日本に引き渡すか

破壊するかいずれかを求める』

と建議し、日蘭交渉は不調に

終わった」。

「ノイツは平戸で獄に投じ

られたが、先に人質として

連行されていた息子は、

その2年前に病没していた。

これもまた歴史の嵐の種に

しても悲劇の一例である。

さらに1629年にクーンが、

そして、翌年に末次平蔵が

没しているのだ。

主役の二人が没して、日蘭の

嵐は静まり、次の時代へと

移ることとなる」。

お粗末な講談であるが、

どうだろうか。

こういう物語というのは、

あると面白いので、時々は

なければいけないのだ

先ほどの末次たちが死んだ

のが1630年、クーンが

死んだのが1629年だが、

1633年に第一次鎖国令が

出されたのだ

1630年に海禁政策が完成

したのだ。

これをしなければ、台湾は

日本領になっていたこと

だろう

振り返ってみると、

オランダ政府は一貫して

徳川幕府に対して恭順の

意を示しており、低姿勢

だったのだ

日本側はいつも威張ってた

その風が伝わってくるのだ

だから、日本側は何も危機感を

持たなかった、全体の状況に

危機感を持たなかったのだ

優柔不断だったわけでも、

安全だったわけでもないのだ

その理由は、

「オランダが政教分離で

スペインやポルトガルと違って、

商行動と信仰は切り離して

いたからだ」とよく言われるが、

それだけではないと思うのだ

埋蔵されていた金、銀、銅の

大きさとその魅力、そして

太平洋のとてつもない広さ、

これらがこの国を守り呑気な

行動を許してくれたのでは

ないかと思うのだ

そして、この呑気な平和な

環境に時々不安と怒りを

覚える日本人が、

例えば末次平蔵や浜田弥兵衛

のような人物が現れてくる。

これまた、現れては消えるのも、

今も昔も変わらない同じ日本の

姿ではないだろうか

「1511年ポルトガル、

マラッカ海峡制圧」、

そして

「マゼランがフィリピンに到着」

先日書いたたが、

「種子島に鉄砲伝来」

それから

「ドレークの世界一周」

なのだ

その後スペインがポルトガルを

併合し、一つの国になるのだ

スペインとポルトガルは

二つに分かれないのだ

その後、

「1581年ロシアのコサック兵団、

西部シベリアに侵入」

コサックのことを少し

書いたが日本侵略を考えて

いるのだ

だんだん、ロシアが動き

出しているのだ

そして、

「秀吉の天下統一」。

こんなところに秀吉の

天下統一が入ってくるのだ

そして、

「オランダがジャワに到着」、

それから

「イギリスが東インド

会社を設立」、

それから

「ウィリアム・アダムスが漂着」、

三浦按針(あんじん)なのだ

これは有名な話なのだ

それから「1603 年徳川開幕」

そして、

「アンボイナ事件が1623年」

なのだ

よろしいか。

大体の歴史が分かってきたのだ

それから、

「末次平蔵、浜田弥兵衛の活躍」

と続くのだ

その後

「幕府が日本人の海外渡航を禁じ、

長崎の出島が完成する」という

順序になるのだ

そうすると、

「ロシアがイルクーツクに

バイカル湖以東の侵略策源地

を定める」のだ

やはりロシアが徐々に出て

くるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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