どうも村田です
「親類が大事だ」というのが
中国人の特徴なのだ
中国では基本的に団体
というものが成り立たない、
中間的な共同社会を知らない、
単に2つの個人の間の
関係的な社会というものが
あるだけなのだ
宴会がしきりに行われるのを
もって、人は中国人の悪習の
ように言う人もいるし、
民族性のように言う人もいるが、
中国では宴会というのは、
未知の他人を1つにつなぐ
人と人との間の交わりを
深くする役割を持っている
のだということなのだ
これは連帯関係が薄いか、
もしくは欠けているような
状態にかえって見られる
傾向なのである、
ということだが、
そうだろうか。
われわれも宴会好きだが
今までは中国社会は地位とか、
地縁とか、血縁関係の強い
社会だという認識が普通で
あったから、
以上見るような認識は理解
できないかもしれないのだ
しかし、人間が安定した
集団に属してないがゆえに
二者間の関係のネットワークを
広げようとして、
その個々の努力の集まりの
結果として地縁と血縁を
基礎とするネットワーク
社会が成立すると逆に
考えることができるのだ
でも以上述べてきたことは
近代中国の、最近の現象で
あって、古代にまで適用
できないという判断は
もちろんあるのだが、
しかし何しろ資料が乏しい
から、そういうデータ不足は
こういう破格の比較をする
しか分からない場合があるのだ
二者間関係しか生まれない
中国では、濃密で情的な
日本型村社会ではなく、
ボランティア団体の集まり
みたいなもので、日本の
共同体のようなものでは
なくて、
急に特定目的のために人が
集められる団体、組織が
時々あるが
そいつと似ている
ということなのだ
何か急に
「何々の会をやるから」
と言って、
知らない人がみんな
集まってきたりするのと
よく似ていて、
それは特定の偉い、
名前のある、指導力の
ある人が中心になって
急きょ作られた団体、
日本にもそういうのが
時々あるけれど、その
構造はそういうもので
非常に不安定に集まった
集団、中国社会には
そういう集団しか存在
していないと言えるだろう
というのだ
日本は会社というのが
やはり相当大きな集団だが、
本当かどうか分からない
けれど、
知人で日立か何かにいた
人だけれど、
「娘が結婚するまで日立の
何とかにいたい」と、
そういうことを言っていた
人がいると聞いたのだが、
日立の一部に属している
というか、
そういうことなのか
直接の友達ではないけれど、
そんなものなのだろうか
サラリーマンの方は
そういうのが多いのでは
ないだろうか。
結婚式のときにやはり
「日立とか東芝とかの
有名な会社の何とかさん」
というふうに言って
もらいたい、
だからそれまでは
そういう地位を去りたくない、
ということではないだろうか
お金の問題ではない
これは中国にはそういう
ものがないというのだ
だからよく
「ヨーロッパには個人
主義があるけれど、
日本人には個人主義がない」
というのは、
それはそういう例で出す
のだが、そうではないと
思っているのだ
違った意味での個人主義が
あるのだ
個人主義と言えるかどうか
分からないけれど、やはり
個人を支えてくれるものが
あるのだ
必要なのだ
砂漠のような人間関係では
ないのだ
そういう日立なら日立でも
いいし、社会が暗黙のうちに
認めているわけなのだ
だから学校を出たらば
認められるというケースも、
形式だと思っているかも
しれないけれど、
大変なことなのだ
欧米では、それだけでは
認めてもらえないのだ。
むしろ
nepoitism(ネポティズム)
というか、血縁関係というか、
スパイが横行するから、
だから向こうの欧米社会の
方が新しい社員を入れる
ときにバックが誰であるかを
調べるのだ。
というのは地域の中に
スパイがいっぱいいる
からなのだ
しかし日本の方は
「何々大学を出ていれば
それでいい」とか、
ものすごく楽天的なのだ
それから
「何々高校を出ていなくても
高卒ならみんな同じ給料だ」
とか、
これも変な話で、あんなに
高校に落差があるのだったら、
当然その計算でなければ
いけないのに、
それは
「個人で努力しなさい」
というのが入ってしまう
わけで、それが日本型の
約束事なのだ
ここら辺が中国にはない
というのだ
だから中国には私文書が
ないというのだ
中国の歴史を調べると
文書がないのだ
個人が個人に対して自分の
意思を伝える書類がない、
信頼を得ているという
ことがない、
信任をもって通用する
という関係が基本的に
中国にはないのではない
だろうか
日本には文書の部類に
入らない大福帳のような
個人の覚書までが、
逆に裁判の証拠にも
なっているのだ
そのようなことで、そこで
中国には封建時代が存在しない、
という大きな問題が出てくる
のだ
封建社会というのは、
郡県制の反対だから
官僚が支配するのではなく、
殿様が支配するのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる