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違うんじゃ

どうも村田です

日本の場合には、身分、

秩序が非常に厳しかった

と言われる江戸時代でも、

制度を使うことによって、

そういう身分、秩序を一部

壊していくのだ

それこそ店の丁稚上がりが

お嬢さまと結婚して主になる、

そして地位、身分が上がり、

場合によっては帯刀が

許されるなんていうところ

までいくわけで、

そんなことはほかの地域

では考えられないのだ

それは日本の近代社会が

始まっていたわけなのだ

江戸時代はかなり実力主義

ということが唱えられる

面があって、

だから武家社会の中でも

勉強の序列を大事にして

いたのだ。

明治維新があってからすぐに、

その前から実力主義だったたから、

「席次順に並びなさい」と、

そして町人が上に行くという

ことが許されることが起こって

いたから、

それが試験によっていい

学校を出れば、その結果、

科挙の制度を受け入れる

ことのできる地盤が

ある程度できていたという

ことではないかと思うのだ

それはいろいろあるから、

古代とまた江戸時代では

違うけれど、

これを見て分かるように、

高度文明である古代中国文明

というものを日本が長い時間を

かけて変質させて、

そしてそれを取り入れながら

次第に自分を主張するように

なってくる、

ということが言えたのでは

ないかと思うのだ

1つ大事なことをいうと、

「追いつけ追い越せの理論

というのをやめるべきだ」

というふうに思うのだ

歴史の見方というものに関し、

「追いつけ追い越せ」

というのは概念としてずっと

あり、

西洋に対して当然我々は

大きな文明の落差があると

信じていたから、

無我夢中で

「追いつけ追い越せ」

の理念に走るわけなのだ

しかし

「追いつけ追い越せ」が

いかに間違いかということは、

私たちが昭和という時代を

迎えて、

近代化というものが西洋化と

いかに違うか、ということを

経験したことによるのだ。

それまでは

「近代化イコール西洋化」

だったのだ

それは

「いつの日にか日本は

西洋になれる」という、

「西洋のようになる」という、

国家目標、民間目標まで

あったのだ

あり得ないことだけれど、

しかしそれは希望でも

あったのだ

「自分たちは遅れている」

という自己認識は根深いもので、

それはすごいものなのだ

分かりやすい例でいうと、

「遅れている」というのは

最近は言わないけど、

最近はそれを

「閉ざしている」と言うのだ

「日本は自分を閉ざしている」、

悪いことを言うときに

ネガティブにそう言うのだ

しかし最近は

「遅れている」ということを

言わなくなったのは、

「遅れていない」という

言い方をし始めたのと、

西洋と日本はあまり変わらない

ということが分かったとか、

いろいろあるのだ

東京オリンピックまで、

前の東京オリンピックのときに、

日本はカメラ以外に自慢の

できる工業製品はなかったのだ

カメラだけだったのだ

だから東京オリンピックの

ときに、陸上、水泳ともに

日本のカメラでもって

世界中に配信している

というのは得意で

ならなかったのだ

あれと同時に、

東京オリンピックに

ぶつけて中国が核実験を

するのだ

だから核実験と日本の

カメラは象徴的だが、

中国と日本の関係は今に

至るまで変わらないのだ

そういう構造だったのだが、

さて、その当時は、日本は

家電製品のメッカ、

家電が得意技になるなんて

夢にも考えられなかったのだ

ましてや自動車産業で競争

できるなんていうのは、

これまたあり得ないことだと

思われていたのだ。

だからフランスの

ジスカール・デスタン大統領は、

あれは77、8年、博覧会で

日本車を見て、

「ふん、日本人でも車が作れるのか」

と言った、という話が有名なのだ

それから2年経ったら、日本の

自動車生産台数は世界1位に

なるのだ1980年なのだ

それぐらい大きく変化する

のだが、知識人が西洋文化に

対して抱いている劣等感の

すさまじさというのは、

少し理解することができない

ものがあるのだ

今だって、それはあった方が

良かったと思うのだ

なくなってしまったから

何も勉強しなくなってしまった、

という別の面が出てきたから、

すさまじい劣等感、これは

「何をしたってかなわない」

というものがあり、

自然科学の方は次第に離脱

するのだが、特に文系で

文系は文学、哲学だけではなく

法律、経済を含めてだが、

学問の根幹が西洋にある

ということなのだ

よしんば国文学の分野ですらも、

その方法論は西洋が握っているから、

勉強の仕方やら何から西洋から

くるという、

いろんな意味で文明の落差

というのが大きかったのだ

精神文化も追いついている

わけでも何でもないのに、

物質文明が追いつかないと

精神的にもダメだと思って

しまうところもあるのだ

真意はそれだけではないのだ

でも、物質文明が追いついて

いるのは、向こうが落ちてきた

ということもあるのだ

さて、それで言いたいことは

中国と日本の関係で、その

「追いつけ追い越せ」

ということを考えている限り、

どことなく自分と相手の文明、

つまり中国の文明との間の

同質性を前提としているのだ

同質だから日本も変化して

そこへ行ける、成長して

そこへたどり着けるのだ

でも先日より書いているが、

これは同質性で判断する

ことはできないのだ

最初から異質だというのが

はっきりしているのだ

そのことは

『ヨーロッパの個人主義』や

『ヨーロッパ像の転換』で

言い続けてきたことで、

「ヨーロッパに対するちょうど

転換の時期で、同質ではない異質。

もともと異質なのだ」

ということなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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