どうも村田です
川瀬一馬という人の
『日本文化史』
とてもいいことを言って
いるのだ
「海の外の東洋と西洋
というものを考えてみると、
それは地続きの大陸であります。
そこでは何らか、直接互いに
交渉し合うのです。純然たる
独立の生活は営めません。
独立の文化は成り立たない。
もちろん民族の相違と地理上、
気候風土の条件による変化の
相違はありますが、
根本的に見ると、東洋、
西洋合わせて1つの大陸の
文化であります。
それゆえに、地球上に
日本の文化と大陸、この場合
東洋、西洋の文化との2つが
対立して存在するのであります」
というように、われわれは
東洋と西洋を理解するけれど
そうではなくて、
日本対、東洋西洋ひっくるめて
全部ということなのだ
これは日本対ユーラシア文化
というふうにも言うことも
できるのだ。
「これは実に大きな問題であります。
重ねて申しますと、日本の文化は
東洋と西洋の二大文化が対立する、
その中の東洋文化の一翼では
ありません。西洋の文化ばかり
ではなく、東洋の文化に対しても
対立的なものと考えるべきで
あります。
その東洋と西洋も、同じ
大陸の文化ではありますが、
そこには異なる表れもあります。
けれども、それらもひっくるめて
東洋と西洋の文化というのは
相対するのであります」。
ひと口で簡単に言っている
けれど、大変なことを
言っているのだ
でも、いろいろ謎が解ける
ところがあり
主人公であるところの
日本列島は、けいれんを
起こすのだ
古代文明をお手本として、
モデルとして学ぶ以外に
文明を学ぶ術を知りらない
だって、ほかに文明はない
のだから。
それは古代ローマを学んだ
西洋人、これは、ギリシャは
遠すぎてダメなのだ
ローマは目の前で崩壊した
から、古代ローマの記憶は
西洋人の中にはまだある
わけなのだ。
ギリシャなどは作り話だから、
ギリシャを自分の文明の親、
祖だ、などというのは
あり得ない話なのだ
なぜなら、あの素晴らしい
ギリシャ彫刻は、全部
縄文土器のように出てきた
出土品なのだ。
2000年くらい経ってから、
土の中から出てきたもの
なのだ
それを掘り出して
「自分たちの文化だ」
と言った西洋は偉いと言うが、
その前にすでにアラビアが
発見しているから、アラブ
との争いになっているわけ
なのだ
ローマは混血していて
ローマ人と一部フランス人
などは混血して、
ゲルマン人というのは
あの辺りのローマ人も
いるわけなのだ
ローマはそんなに遠くない
のだが、それから学ぶ
といって日本も古代中国から
学ぶしか文明を学ぶ方法を
知らなかったのだ
宗教しかりでこの4つを
学んだのだ。
漢字、仏教、儒教、律令と、
この4つが、シナ、中国から
学んだ
merkmal(メルクマール)
なのだ
文字それから宗教2つ、
それから律令と。
これは結局、法と宗教と
言語だから、これは文明
そのものなのだ
けれどはっきり言えることは、
文字がまるきり違っていたのだ
われわれは中国の文字を
学んだけれど、知ったけれど、
文字というものは中国の漢字
で知ったけれど、1つも言語は
入れていないのだ
これはすごいことで
言語を入れなかったのだ
入れたのは文字だけなのだ
それが訓読みということで
訓で読むということなのだ
「山(やま)」と「山(さん)」、
「山(さん)」を「山(やま)」
と読み替えるのだ
「高(こう)」を
「高い(たかい)」
と読み替える。
「高低(こうてい)」を
「高い低い(たかいひくい)」
と読み替える。
このようなことをやった
国はないのだ
たくさんの問題があるけれど、
訓読みをすることで、意味を
理解して、仏教も儒教も律令も
全部、日本読みで読んだわけ
だからなのだ。
こんなことをやった国は
ないのだ
なぜなら、律令でもよく
理解できなかったというのは
分かるのだ
文字が分かったと言ったと
しても、概念が分からないと
言ったとしても、
そのようなものは体験も
できないのだし、何のことを
言っているか分からなかった
のだ
文字自体から始めなければ
ならなかったのだから、
律令も十分に理解できなかった
ということは、
文化が違うということの前に、
あまりにも遠すぎて
分からなかったということ
なのだ
本当はわれわれも英語の
関係やフランス語の関係
だとそうなのだ
分からないのだ
ドイツ語もそうで
本当のところは分からないのだ
でも、何とか努力して
勉強して分かろうとしたのだ。
近いものは分かるから、
近代語は分かるのだ
けれどおそらく、高度宗教も
どうしようもなかっただろう
ときどき、博物館でこういう
展示があったら見に行くが、
古い字がざーっと並んでいて、
写字なのだ
聖徳太子の展覧会などでも
たくさん見たけれど、
仏教論でも宗教論でもみな、
漢字で入ってきたものを
写して、あれを全部日本語で
読んだのだ
日本語で読む方式を発見
したわけなのだ
それはすべてを訓で読む
ということなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる