どうも村田です
第二の軸の時代は、
十分に研究されていない
普遍的な、そして
民主的なものでなく
独自のものであり、それは
近代社会を作るうえで
大きな役割を果たす
ゲルマン民族と日本民族
の結果として
そういうものが生まれた
スタートの時点での
見るべき観点を十分に論じ
られてこなかった恨みが
あるのだ。
しかしわれわれは第一の
軸の文化の単なる模倣でも
なければ、それの繰り返し
でもなく、
第二の軸の文化が他の地域と
違って展開し、新たに新しい
価値を獲得したゆえんは独自性が
あったからにほかならないのだ
それが第一の軸の文化の陰に
隠れてしまって、ややも
すれば見落とされている
けれど、
世界史的な歴史を考える
場合には、これは
ナショナリズムのいう意味で
言うわけでもなければ、
狭い意味で何か自分を主張
するために言っているのでは
なくて、どう考えても客観的に
地球上のありとあらゆる民族が
第一の軸の文化を素直に
受け入れることができなかった
ことに対して、これをしっかり
と受け止めて
なおかつ自分の問題として
発展させることに成功した
地域というのが第二の波の中に
あったということなのだ
これを私たちはもっと積極的で
意味深いものとして認識する
必要があるのではないかと
思っているわけなのだ
そのことを強く主張したが、
それは古代中国と古代ローマ
という普遍的な巨大文明と
対比した2つの地域、
ヨーロッパと日本の動き、
展開、何を受け入れ、そして
何を受け入れなかったか、
そしてまたどういう
自己確立の道をたどったかを
つまびらかにすることが
必要ではないかと思うのだ
だからここではわれわれは
日本の歴史、日本列島を
考える時には2つの古代文明、
つまり古代中国と古代ローマと
日本およびそれに付随する
東アジアの地域と
それから、ヨーロッパ、
ゲルマン、スラヴなど、
並列して比較して考えて
いく必要があるのだ
そういう地球規模的な
哲学的な主尺が求められる
時代に入っているのでは
ないだろうか
いたずらに第一の軸の時代の
学習のプロセス、モデル、
模倣の展開というふうにだけ
考えるべきではないのだ
そしてそれはどういう形で
創造的になったかというと、
せっかく受け入れた古代文明
を自分たちが持っていた
古い文化によって、新しく
得たものが否定されて
しまうのだ
具体的にいうと日本の場合
には縄文時代以来、氏姓制度
というものが強くなってきて、
豪族が
それから西洋でいえば、
部族的な集団構造というもの
があって、
それが高度宗教や高度法体系
によって自分を整えようと
してもついていけなく、
否定されてしまうのだ
一見それは及ばなかったのだ
というふうに理解できるけれど、
必ずしもと言えない問題が
あるのだ。
つまり今に至るまで外から
入ってくる価値の表式と
うまくそれに適応できない
土着の文化、
われわれの場合も今でも
そういう問題があるわけだが、
それをいたずらに
「学習のし損ない」とか
言うのではなく、うまく
適応できなかったことの中に
創造性が秘められている
のではないだろうか
具体的にもっと言うと、
古代ローマから受け継いだ
「ローマ法」によって、
古代中国から受け継いだ
「律令」によって、高度官僚、
高級官僚的な意味でのあれだが
集団意識をうまく合理的に
統合する官僚統一国家と
いうものを目指したわけだが、
必ずしもうまくいかないわけ
なのだ
律令というのは
4つ、これは日本が古代中国
から受け入れたもので、
漢字、仏教、儒教、律令と
書いたが、律令とは何かと
いうと法律のことだが、
律は刑法で令はそのほか
行政法なのだ
日本はこの律令を受け入れる
のだが、同時に養老律令など、
自分の律令を作ろうとするのだ
現実に作ったのは日本だけで
朝鮮半島もほかも、そういう
ことはしなかったのだ
これは有名な話で
けれど日本が作った律令
といっても、手直しなのだ
けれど特に行政法は、
令の方は手直しできた部分が
あったけれど、律については
手が付かなかったのだ
それほど唐の律令とは、
唐律というが、徹底して
その概念操作、探求、分類、
分析がものすごくて、
特にその犯罪の規模とか
性格が、日本の社会では
理解できないようなもの
が多数存在するために、
これをそのまま適用する
こともできないし、
さりとて改変してみても
どうなるものでもない
ということで、やや
律令については、律は
持て余していたのだ
それくらい文化が違うのだ
背景の社会が違っていた
わけなのだ
何しろ日本は、律令を
受け入れても、平安時代は
長い300年ぐらいの間、
死刑がなかったという国
なのだ。
今でも想像がつくと思うが、
犯罪の規模とか性格とか、
すさまじさというものは
そういう分類をしてみても
日本にはあり得ない
ような犯罪がたくさん
あったのではないかと
いうふうに、
よく分からないけれど、
律令の研究をしてみれば
そういうことではなかった
かと思うのだ。
唐律というのは、
そういう意味では大変な
高度文明だったわけなのだ
日本の文明はその当時、
そこまで進展して
いなかったとも言えるのだ
また、この受け入れの
中には法の、高度な宗教や
法概念を今書いたわけだが、
それまでは神話的なものの
考え方がどうしても
強かったのだ
日本では特に神話的なもの
が強くて、シナの場合には
合理的な解釈、
すなわち儒教が出てくる
ことで神概念を廃棄して、
大体、孔子さまは摩訶不思議な
ことが嫌いで、神秘主義は
一切ないし、
古代中国の思想は神話を
否定し、排除するのだ
しかし日本はそれを強める、
そのような方向にいくので
一致しないのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる