どうも村田です
弥生とは何かというと、
縄文文化に対して
弥生の土器を見てみる
のだ
赤い赤土であるのが
弥生土器なのだ
たくさん並べたものを
見た時に全然違う世界
だと思えるのだ。
軽くて、華やかで、都会的
で何と言えばいいだろうか
平成13年に国立博物館で
土器の造詣、縄文の動、
弥生の静、動と静とは
dynamic and static
(ダイナミック・アンド
・スタティック)、
つまり動きと静かなのだ
縄文を動き、動、
弥生を静、静かさと捉えた
展覧会であったが、
これは『国民の歴史』では
ないのだが、
「武器や道具の世界の全貌を
知ったのは初めての経験だった。
縄文の動、弥生の静と特筆
されていたが動と静の対立
では必ずしもなく暗鬱と華麗」、
華麗というのは華やかで
「冥府的な者と地上的な者」、
冥府的とは暗闇の摩訶不思議
な化け物が出てくるような
明珠と、地上的なものなのだ
あるいは黒い森林と明るい
都会の対立のように思え
たのだ
「全体に薄い赤色を帯びた
弥生土器はいかにもしゃれて
いて近代的だ。
それに対し縄文土器は底深い
暗闇から爆発する激情的な
何かを表明しているかに
見える。
2つの対比はあまりに劇的で
著しかった。心を深く、深く
揺さぶったのはやはり
縄文土器の世界だった。
縄文人は言語を持っていた
と思うけれど、文字を知らない。
ケルト人やゲルマン人と
同様である」、
ゲルマン人も文字を
知らなかったのだ
「しかし、最古の時代に
関してはちょっとばかりの
文字記録が残っていても
何にもならないのだ
そうなのだ
「文字、文字」と言うけれど、
シナ人が「文字」と言って
確かにシナ人が先に文字を
作ったのだ
殷周の時代、殷の文字なのだ
しかし殷の文字もそんなに
数は多くないのだ
そしてすべての人間の感情を
表現するにはとても足りない
のだ
最初の殷の文字は数が
足りなくて、日常生活も
あんな漢字で表現できない
のだ
だけれど、高度の感情を
表す言語生活を送っていた
に違いないのだ
それは文字を知らなかった
日本人も同様に、高度の
感情生活を彩る言葉の世界を
知っていて、
それをまた駆使していた
のが人間の生きていく
世界だけれど、それはとても
文字の数では及ばないのだ
無文字社会というものが
いかに豊かで、いかに深い
思想を別の形で表現して
いたかということも考えて
みる必要があるのだ。
そこで縄文の土器や土偶が
継承という言語、形、姿
という言語を持って語り
かけているのだ。
少し余談を言うと、私たちも
時々無文字社会になることが
あるのだ。
あっと息を飲むような
出来事が起こった時、どう
表現していいか分からないのだ
メディアはいたずらに
過激な言葉や単純な言葉を
濫発するのだ
そして一面にそのことを
書き立てるのだけれど、
よく考えると無文字社会に
近づいているのだ
何とかという表現をしたけど、
小泉訪朝なんていう時が
そうだったのだ
本当にどう考えていいのか
分からないことが起こった
時に、新聞の表現や何かを
見ていると笑えるのだ
最近ではトランプさんが
大統領になった直後、
日本列島がどのように
扱われるかが分からなくて
日本人はしばらく不安で
マティス国防長官がやって
来た時、息を飲む思いで
彼の第一発声を国民は見て
いたのだ。
そしたらマティスさんは
型通りというか、何というか、
とにかく力強い言葉で
「日本列島を守ります。
尖閣はもとより」
といったのだ。
日本人はあの日の夕方
ずっとテレビを見ていた
のだが、テレビは例外なく
「良かったね。
ほっとしたね」
という安堵の声を漏らす
ような空気がメディアの
至るところにあったのだ
翌日の新聞を見たら、
産経から朝日まで例外なく
「これで安心だね。
ひと安心だね」、
やがて訪米する安倍総理
の悪口をいつも言う
メディアが黙って
「お願いします。
うまくやってきて
ください。日本列島は
危ないのです」と
だってボンボン
ミサイルを撃たれている
のだ
まかり間違えば何が
起こるか分からないのだ。
あの時、黒船来訪の時も
こんなだったのではないか
と思うのだ。
どうしていいのか
分からなくなるのだ
この列島はそういう
列島なのだ
背後にいつも守るもの
は何もないのだ
だって、重大なことは
隣国はアメリカなのだ
隣国はアメリカ大陸なのだ
変な話だけどシナ大陸
ではないのだ
ユーラシア大陸は隣国
ではないのだ
もしあれが隣国だと
したら巻き込まれているが、
あれを拒絶して生きて
きたのだ
そうすると隣国は
アメリカ大陸しかない
というのは昔から
そうなのだ
しかし隣の国はその
真ん中に北太平洋という
巨大な溟海が存在して
いるのだ
だからどうしようも
ないという不安があり
すごいところにわれわれが
暮らしているのだなと、
考えれば考えるほど
ぞっとするのだけれど
誰も考えないで住んで
いるから不思議なのだ
時々そういう幻想が浮かぶ
のか、日本列島が沈没する
物語があったのだ
『日本沈没』
そういうのが人の胸を打つ
のはやはり不安の表現なのだ
そういうことに対して
日本人が正直になるべきだ
と思うのだ
あの日は産経から朝日まで
「マティスさん、ありがとう」
だったのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる