どうも村田です
すべての国の地域の
横軸なのだ
ローマ帝国があって、
日本は大和朝廷なのだ
食糧を採集、要するに
あちこちから木の実だとか、
魚だとか、貝類だとかを
自分で拾って食べる
という段階から農耕社会に
入ってくるのだ
それから王権なのだ
王権というのは王様で
王様の国家というものが
生まれるのだ
そういう順序をたどって
都市文明ができるということ、
それが国家の成立と
考えると
日本はとても成立が遅い
ことになっているのだ
日本だけ少し例外なのだ
そうだろう。
食糧を拾って食べる
採取段階が非常に長く
続いたのだ。
そして畑を作ったり、
田んぼを作ったりする
農耕社会の段階が短くて、
あっという間に国王
が出てきて国家権力
というものが生まれ
たのだ
王権の成立
ところが他の地域、
日本以外のところでは
農耕社会が長く続いて、
なかなか国家というもの
が生まれないのだ
なぜ日本だけがこれほど
特別な例外をなしているの
だろうか
これも日本列島の不思議
なところなのだ
食べ物が豊かだったから
なのだ
農耕社会をやる必要が
なかったのだ
農耕がどこから始まったか
というのを、もしクリの
栽培を農耕とみればもっと
古いのだ
しかし、クリの栽培は農耕の
全面開放とは言えないから、
水田が動き出して始めに
なるのだ
ところが日本列島は本当に
食べ物が豊かだった、そして
争いもなかったのでこういう
ものがゆっくり進んだ
ということなのだ
そういう必要がなかった
ということなのだ
このこともいろいろな
ところに出てくるこの国の
文明、そして憲法9条は
なかなか改正できない
というのんきさも含めて、
明日何かをするのは嫌だ、
もう決めてしまったから
いいではないか、
もう騒ぐのはやめようと
なるのだ
みんなそうなのだ
相当な人がそんなことを
思っているのだ
口では偉そうなことを
言っているけど、全然
そんなことはないのだ
まだ原始社会なのだ
しかし、縄文文明には
すでに天文学もあり、
外洋航海術もあり、
家畜の飼育まで行われて
いたのだ
周りに高度な建築技術も
発展され、奈良時代の
お寺や神社の建築に
一般的に使用され今日
もなお使われている
同じ工法が、
4,500年ぐらい前に
用いられていたという
ものも発掘されて
いるのだ
「畜産はない」
と言われていたが、
ブタの飼育の跡は残って
いるのだ
何か日本の考古学も含めた
こういう研究は西アジアの
西洋が発見した順番、
つまり農耕、牧畜が開始され、
都市文明が芽生えたということ
にしたいのだ
それをモデルにして、それに
一致しないものは野蛮だった、
そういう類の尺度が学問の
背後にあるのだ
中国の歴史の付録のように
自分の国の歴史を語るのと、
西洋が決めた基準に従って
砂漠の文明の都市化の歴史を
日本列島に当てはめる
ということと全く同じで、
この国の学者たちの知的退廃
と言うか
そういうものがあるように
思うのだ
森林の文化を砂漠の文化の
基準で測ってはならない
というのは安田善憲さん
という、環境考古学の大家の
主張なのだ
安田さんの主張で大切なのは、
森の生活を中核とする環境下で
少しずつ成熟していった
日本人の自然観、あるいは
世界観はその後の歴史時代にも
受け継がれ、大陸とは全く異なる
日本文明進展の根幹を形
作っていた可能性がある
のではないかという指摘なのだ
安田さんがそう確信するのは
列島が1万有余年も大きな
民族変動を受けなかったこと
なのだ
エジプト文明と並んで長期に
わたる無変動文化であった
ということなどなのだ
いろいろあるが、専門家の
意見はそういうことなのだ
縄文文明が世界の有力文明の
1つメソポタミアに次ぐ
なんていうことまで言える、
主張できる材料もないし、
そんなことを言う必要も
感じないのだが、われわれが
日本の歴史を考える場合に
有史以来の日本史の時間
というものが、
それに先立つ縄文や弥生の
1万有余年長大な時間量を
背負っていて、ちょうど
大きなこぶを背中に背負って
いるように
歴史がその過去に動かされて
今日に至っているということは
いろいろな形で言えるので、
無視できないのではないか
というのが言いたい事なのだ
何か目に見えない大きな
パワーを背負っているのだ
平常そのことには気が付かない、
日本人はよく自分の国を
排他的なことを言う人が多くて
「純粋性にこだわるのは
間違っている」なんて
言うけれども、
ユーラシア大陸で暮らして
いる少数民族の方がはるかに
排他的で自己の固有性と
純粋性を信じて疑わないのだ
朝鮮だけではなく中国人だって
今、中国の長い歴史と称せられる
ものが怪しいから、誰もあれを
漢民族の無変動の継承とは
思っていないわけなのだ
途中で何度も挫折があり、
王朝が代わり続けているのだ
しかし、彼らは中華というのを
いうと1つのことを言うわけ
なのだ
今でもそうなのだ
まるきり反省がなく
日本は外に学ぶという、少し
学び過ぎではないかと思う
ぐらいの謙虚な気持ちがある
からいいのだが、
中国人は自分たちの頑迷さが
何を意味しているかが
分かっていないのだ
あの文明は必ず停滞し
毛沢東がやったのと同じ
間違いをまた習近平が
犯そうとしているのだ
また30年ぐらい遅れて
しまうだろう
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる