どうも村田です
1989年までの時代は、
日本にとっては大変な
黄金期であった、
ゴールデンエイジで
あったと言っても
良いのだ
日本は戦争に負けて、
アメリカに占領されたと
言うが、それだけでは
ないのだ。
戦勝国による占領、いわば
米ソ共同統治で、世界が
米ソ共同統治だったのであり、
それを「冷戦体制」とも
言い日本も国内で分断され
ながら、この冷戦体制の均衡
のもとで一定の安定を得て、
高度成長を実現することが
できたという、安定した
外部環境が続いたのが
1989年までの時代なのだ
もちろん、政治的には
日本は分断され、あるいは
従属する立場にあったのだ。
どういうことかと言えば、
政治経済的には親米で、
アメリカの支配下にあるのだ
しかし、マスコミや労働界、
司法界、大学、こういう
ところではソ連の力が
圧倒的に強かったのだ
だから経済学もマルクス
主義経済学を教え、そして
「現体制はダメだ。ソ連型
社会主義こそが優れている。
資本主義はダメだ」
という教育を日本の大学は
ずっとやっていたのだ。
マスコミも
「現体制はダメで、
左翼的な主張が正しい」
ということをずっと
言い続けてきたのだ
アメリカが本当に万能で
日本をコントロールして
いたなら、そんなことは
起きないのだ。
米ソによって日本は
分断統治されていた
ということなのだ
東ドイツと西ドイツの場合は、
地理的に分かれていたから
分かりやすかったのだ
東ドイツはソ連がコントロールし、
西ドイツはアメリカ側が
コントロールするということ
だったのだ
日本の場合は政治経済の
主流は親米派が取るが、
先述のように、大学、マスコミ、
司法界、労働界、こういう
ところでは圧倒的に左翼、
親ソ連派の力が強いという、
社会機能によって分断された
分断国家だったと思うのだ
しかし、冷戦体制のもとで
日本は温室状態で経済発展に
専心すればいいという条件が
あり、
日本の経済に限って言えば
その時代急成長を実現し、
経済では世界の一流国に
なったのだった
1989年、平成元年に冷戦が
終わり、みんな
「冷戦が終わった、
平和になって良かった」
と言っていたが、
これは実は日本にとっては
大変な苦難の時代がくる
ということだったわけなのだ
日本を守っていた温室
そのものが壊れてしまった
ということなのだ
要するに、日本はそれまで
アメリカの支配下で、
国防問題などはアメリカに
任せて、
国内の左翼に対して治安
だけを保っていればいい
わけだから、
軍隊も大きな軍隊を持つ
必要はなく、自衛隊という
軍隊とすら定義されない
ような自衛力を持って、
防衛にお金を使わず、
経済発展に専心すればいい
という国際環境が完全に
失われたのだ
冷戦があるということは、
日本をソ連に取られては
困るので、アメリカも
日本のことを保護して
くれたのだ
マスコミや大学に巣食う
左翼勢力、親ソ連勢力が
社会全体に広がらないように
日本も努力し、
アメリカも日本に米軍基地を
置いて、にらみを利かせる
というバランスがあったのだ
そして、「日本の官僚は優秀だ」
と言われたのは、その時代で
大きな戦略目標をつくる必要は
なく、日本のやることはもう
決まっていたのだ。
与えられた範囲内で経済成長に
専心していればいいということ
なのだ
官僚というのは、一定の具体的な
目標を与えれば、有能であって、
よく働くのだ。
そういう状況で、日本は安定
して経済成長を実現したのだ。
それが1989年、平成元年までで
あったということなのだ
ちょうど、昭和の終わりと
ともに、その時代が終わった
ということなのだ
1989年、昭和天皇が崩御されて
昭和という時代が終わるが、
その年の末が日本の経済が
一番良かった時なのだ
株価の日経平均が
3万8,915円以上をつけ、
日本がバブル景気と言われた
景気に踊っていた、
浮かれていたとはいえ、
経済は非常に絶好調だったのだ。
その年が、冷戦の最後の年
であったということは偶然
ではないのだ
冷戦構造の中で、ある意味で
一番得するポジションにいたのが、
日本や西ドイツであったわけ
だから、
その中で日本が最後の
バブル経済の繁栄を
謳歌したのだ
それまでは、いわば
ハンディキャップを与えて
もらって外国と経済の競争を
していたけれど、
その時からは温室が壊されて
外に出て、寒い風の中、
自前でやらなければ
いけなくなったということ
なのだ
これが1989年の非常に大きな
出来事なのだ。
コールドウォー、
冷戦の終わりとバブル経済の
終わりが一致していたと
いうのは偶然ではないのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる