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ヘイワヘイワ言うんじゃ

どうも村田です

かつては日中科学技術

交流協会を通さなければ

来れなかった科学者達

今は、より自由に

いろんな形でビザが

とれるようになったのだ

1つ1つのビザ、

アメリカだとJビザとか

Fビザという言い方があるが、

いろんなビザが出しやすく

なっているから、こういう

協会みたいなところが、

胴元と言うか、

いろいろやっていた時代は

終わり、各大学が受け入れれる、

自由にできる状況ができている

と思うのだ

だから、この技術の交流協会

はショボくなっているようだが、

結局、何十年間と中国を

日本側がサポートしている

ように見えるが

中国側が何をしているかと

言うと、

「中国が試みるイギリス人

エリートの取り込み」という

ポートがあり

その中で書かれている内容

これは「中国共産党は、

政治家、学者、その他の

エリートを

『使えるバカ』もしくは

『専属エージェント』にする

ことを目標にしている」

というふうに書かれているのだ

だから、そういう学者達が

中国から来て、科学者達が

「使えるバカ」はどこか、

ほんとに中国になびく、

エージェントになってくれる

教授はどこにいるか、

そういう大学はどこが受け皿

になるかということを、

ずっと探していたのだ中国は

それが中国の工作だった

と考えているのだ

中国共産党にとって

利用価値がある人が

「使えるバカ」なのだ

だからそういう意味では、

誰かの学者を、この人が

今トップだから標的にして、

悪者扱いにするつもりは

ないけど、結局、マスメディア

とか、政治で言えば

スパイ防止法はない、そういう

状況がなければ、中国共産党

から送り込まれる人間は、

やりたい放題になっているのだ

その状況を、今、世界、

特にアメリカ、イギリスとか

ファイブアイズの国は、

ダメだということで、

国内の学術・技術組織が

中国と協力、協定を結ぶ場合、

透明性への審査強化、ルール

遵守の厳格な要求を図っている

という状況になっているのだ

だから、日本も、日本にある

友好団体とか、中国の

技術研究組織と関わる

日本の学術機関に対して、

安全保障上のリスクの観点

から関係を見直す必要がある

ということを、この論争が

教えてくれているのだ

この論争をいろいろな

日本のメディアで見ると、

日本政府が任命されなかった

6人を好きじゃないから外した

そういう、とても小さな

国内問題のように報じられて

いたのだが、その背後にいる

さまざまな国際関係が

うごめいているということを、

実感できるのだ

「軍民融合(デュアルユース)

と千人計画~超限戦とは~」

日中科学技術交流協会、

これは徐々にショボくはなった

わけだが、

日中科学技術交流協会は、

中国の原子力発電の技術発展

に協力すると明記されている

のだ

日本原子力協会というのが

あり、1985年に、中国と日本、

両政府は、

「国際協力を通じて核不拡散

体制への理解を働きかける」

「平和利用分野における協力」

を掲げ日中原子力協力協定と

いうのを結んでいるのだ

すぐには始まっていなく、

1994年から今に至るまで、

核エネルギー、核分裂、核融合で

研究協力というのをしているのだ

不拡散と言っても、中国は

核を持っていて、日本は

持っていない

なぜ日本まで不拡散なんだと

思うのだが

そういうことを例えば

日本国内でやろうと思えば

ワーッと反対するような勢力が、

中国と一緒に研究しましょう

という状況になっているのだ

おかしな話だが、何より

おかしいのは、中国には

国有企業で、原発の最大手は

中国広核集団、CGNという

企業があるのだ

ここは、めちゃくちゃ原子力

発電所を作っていて、22基ある

そうだが、2030年頃には、

アメリカを抜いて世界一の

原発大国になると言われるぐらい、

作っている会社なのだ。

そしてこのCGN、中国広核集団

には、CGNの視察団が訪日して、

日本の技術者と交流しているのだ

そういう意味では、日本だと

ワーッとなりそうな内容を、

中国と仲良くやっている

仲良く平和利用ということだが、

中国は何でも平和利用と言う

のだ

それはデュアルユースで

やっていくと

軍民でやっていくんだ

ということを習近平が

言った後でも、交流をしている

という事実があるのだ。

実際問題、中国は、70年代は、

なにもない状況、技術もなにも

ないから、平和とか友好とか言い、

そこで日本やアメリカに、

先進国の科学技術団体と

人的交流をすることにより、

いつどこから何を得るか、

工作を本格化というか

スタートさせたのだ

80年代は改革開放と言われる

時期に、78年からなっていくが、

下海(シャーハイ)という言葉を

きいたことがある思うが、

上海ではなく、下の海で

下海ブームというのが起き、

結局どういうことかと言うと、

人民解放軍の人達をたくさん

レイオフ、100万人以上、

レイオフして、その人材を

起業させ、

民間企業という仮面で持って

競争させるということを始めた

わけなのだ。

その結果、今に至って残っている

1つが、ファーウェイ、やレノボ

なのだ

90年代、90年代後半にWTOに

入るわけだが、クリントン政権

の時に、自由貿易システムを利用

というか悪用していくところで、

最先端技術とか知的財産権、を

どうやって奪取していくかという

ことを、より深く覚えていくのだ。

その頃、中国は世界の工場で

13憶人の市場ということを

言っていたわけだが、

みんな騙されてと言うか、

どんどん進出して、雇用も作り、

それから技術というものも、

中国の中で、そういう技術の

イノベーションをする時期に

なっていくのだ

それが21世紀になって、特に

2002年頃、胡錦涛の時代に

「走出去(ゾウチュウチゥ)」

という政策を立てたのだ

これは、ヒト・モノ・カネを

世界に出して行くぞという

政策だったのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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