どうも村田です
日本だって当然だが、
安全保障と経済政策を
一体としていく政策を
出したのだ
そういうことに対しても、
日本学術会議の人達は、
基本的にはNOに近い人達が
いるのだ
あと、分野ではない、
難しい分野で素粒子の研究
というところは、
日本は世界のトップランナー
を走っていることで、
ヒッグス粒子とか、宇宙を
構成するダークマターなどを
解明するために、
日米欧などの物理学者が
東北の北上山地に巨大
実験装置の次世代加速器
「国際リニアコライダー」
を誘致・建設する計画があった
わけだが、これも日本学術会議が、
この所見においては
「支持するに至らない」と
反対をして、
さらには、
「マスタープラン2020」
でも、
「重点大型研究計画」として、
「国際リニアコライダー」を
誘致・建設する計画というのを
選ばなかったということで、
ある意味で言えば
日米欧が一緒になってやる、
宇宙に関しての分野でやる
ことに対しては、まっこうから
反対しているのだ
大きな、日本の科学界に
とっての損失だったのだ
「国益を損なう国際リニア
コライダー選定見送り」
という報道が産経とか、
それ以外のメディアでも
出ていることが、分かり
さらに言えることは、
日本学術会議に入っていない、
マトモと言っていいか分からない
が、それ以外の学者先生の弁として、
「軍事的手段による国家の
安全保障に関わる研究を、
積極的に行うべきだ」
と唱える教授は、
学術会議のメンバーからは
「危険思想」の人という
レッテル貼りをされると
当然だが、たとえば南京で
30万人大虐殺、こんなのは嘘に
決まっているのだが
その当時20万人しかいなかった
わけだから、それは嘘だ
ということを、たとえば証明する
ための研究、そういうような人が、
日本学術会議のメンバーになれる
でしょうかということなわけだ
とすれば、日本学術会議は、
最初からイデオロギーは
共産主義者であるし、
共産主義者というよりも、
中国共産党を愛している人達に、
いつの間にかシフトして来て
しまっているということが
分かると思うのだ
戦争を防ぐために軍事の
研究をするそれも許さない
のだ
甘利議員も「千人計画」
というキーワードを意図
的に出したのか自然か、
広めることになったと
思うが
この日本学術会議の論争が
出た時にこれは「千人計画」
というより、その以前、
中国の長らくやってきた工作、
大フロントにいるのは、
United Front Work Department、
要するに統一戦線工作部なのだ。
ここは、もともと今に至るまで
非常に力があるが、
日中友好協会とかそういう
ところをコントロールするのも、
この統一戦線工作部なのだ。
要するに日本学術会議が、どこに
コントロールされているのかと
言えば、「千人計画」ではなく、
統一戦線工作部、
それから中国国家安全部から
出て来ている人間、それから
中国人民解放軍の総参謀部、
ここにはもともと友連会、
国際友好連絡会というものが
あるのだ
こういうところに所属している
人間が、アカデミーの世界を、
ずっと赤いまま、さらには
中国共産党向けにより
シンパシーを感じるような
工作を、この20年やってきた
というのが結論なのだ
日本を弱体化させるためには、
軍の研究をしない方が
中国には都合がいいからだ
実際、キッシンジャーさんと
周恩来さんの密談の話、
1971年の話は、
日本を二度と立ち上がらせない
ようにするというのが、
キッシンジャーはアメリカの
左派だが、
それと中国共産党の周恩来
との密談だったわけなのだ
それに沿って動いているのは
どこかと言えば、
日本学術会議であるという
ことなのだ、
実際、日本学術会議は
1949年にできたが、その後、
日中友好協会が1963年に
できているのだ
それと共に、1977年には、
日中科学技術交流協会を
立ち上げているのだ
この日中科学交流協会と
いうのは、今はすごく
ショボくなっているが、
科学・技術者の交流を
通じて日中友好親善を
目的とし
そして、科学・技術者の
訪中訪日事業を行って、
そして、中国人留学生を
迎えるなどして、
情報提供や紹介・推薦・
斡旋などの支援を行うと
言われてるのだ
80年代は、非常に会員が多く
400人以上、賛助企業は140社
あったわけだが
会員55人で、賛助企業など縮小
したイメージになっていて、
どんどんいろんな会ができて
いることにより、
その役目は、終わったのだ
終わったから小さくなって
きているわけだが、
それはなぜかと言うと、
90年代頃まで、中国は、
中国人は自由に訪日
できなかったのだ。
大学側と教授側が受け入れ側
というかたちで、ビザの発給
とかいろんな保証人になるとか、
いろんなことをしていたわけで
それをサポートするのが、
日中科学技術交流協会だった
というふうに考えているのだ
これはある意味、中国は
はっきり言って、21世紀に
なるまでは、技術なんて
ものはなかったわけなのだ
世界が学ぶ技術など
いいところ中国は90年代の
ソ連の崩壊までは、
ソ連からいただいたり盗んだり
共有してきたわけでそれが、
それ以降は、
アメリカそして日本により
シフトしていくわけだが、
そういう中で、自由に日本
に来れなかった時代の中で、
それを助けるような協会
だったということなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる