どうも村田です
「21カ条要求はけしからん」
と、アメリカ、イギリスが
怒ったという話でやめて
いるのだ
なんだかちょっと疑問ですが、
日本側からすれば三国干渉を
思い出させるような話ですが、
また返したのだから、
戦いに非常に寛容な平和を
求め、大国としての責任を
十分に成果をあげた外交政策だった
わけなのだ
それを返還したのは
大変なことなの
ただ、ヴェルサイユ講和体制
私が第一次大戦後の
とりあえず処理で、
ヴェルサイユ体制がドイツに
とりあえず過大な要求をした
ために、ドイツ国民も大変です
疲れるし、経済的に疲労する
するだけではなく、
アルザス・ロレーヌ問題も
ズデーテンのこともあり、
それからポーランド回廊の
問題もあるうえに、さらに
分断されるということに
気づいたのだ
それにより、もともと
非常に不安定で長続きする
はずのないというか、
考え行動だった
いうても言ってもいいのだ
それは全く語らないで
歴史を語る、世界史Bに
なってしまうのだ
世界史Bとは、高校で教えて
いるというやつで
まず第一次大戦の対抗
処理を行う必要があるのか
どうか、ということもありますが、
そのあと処理を誤ったこと
それが、それが
第二次大戦のヨーロッパに
おける戦争の原因特有
になった、大体そのように
総括してもいいと思います
したがって第二次世界大戦は、
ヴェルサイユ体制の崩壊
現象であるということが
言うのだ
したがって、イギリスの保守派は、
かなり前の段階からドイツに
出された不正義、特に
植民地を全部集めた
ことに対する不正義ですか、
それから問題分断の不正義、
今のものを外交交渉の
この中で解決していかない限りは、
必ず問題が出てくると思って
いたわけなのだ
「ヨーロッパの安定のため」
にはヴェルサイユ体制の
不正義を解消しては
「いけない」ということで、
チェンバレンも含めて、
イギリス保守派はそう思って
いたわけなのだ
したがって、今ではよくわかりますが
進んだと思いますが、
ズデーテンの併合についても、
「弱腰外交が第二次世界」
大戦の勃発につながった」
というような、めちゃくちゃな
歴史が書かれていましたが、
ああいう戦争をしない形で
差別を、国境の変更をする、
それがうまく外交で
できれば先生たわけなのだ
ポーランドと交渉中、
ヒトラーがとてもに
患者(ペイシェント)
にやっていたのだ
9月1日以前にまとめて、
攻撃する予定になっていた
わけなのだ
ポーランドとは友好条約を
結んでいるから、彼にとって
ポーランドと戦争をすること
は真の目的ではなかったのだ
だから、物理的な戦争なしで
ポーランドの、ダンツィヒの、
それとポーランド回廊の問題
の解決はしたいと考えていた
わけなのだ
とりあえず、少し話が飛んで
しまうが
今日の北方帰還問題と
すこし関連これから来るのだが
ヒトラーにとってダンツィヒと
ポーランド回廊の解決とは、
ドイツ国民の不正義に対する
怒りを解消させる最後のところ
だったのだ
ドイツ国民が
チェコスロバキアにやられた
問題は解決したのだ
そして、ポーランドとの
国境問題がうまく解決すれば、
ほとんどかなりのドイツ
国民の憤りは解決されたと
思うのだ
ここさえさえあれば、
ドイツ国民の憤りはかなり
治まったはずなのだ
そうなったら、それ以上の
戦争もあり良かった
できないかも知れません
逆に考えれば、どうしても
ヒトラーはポーランド回廊と、
ダンツィヒの問題はドイツ
国民が納得する形、
見える形で解決したのだ
したがって、彼はポーランドに対して、
「ダンツィヒの施政権は」
返さなくてもいい」という
どこまでオファー
しているのだ
ヒトラーはポーランドに
対し、そこまでの条件を
緩めているのだ
したがって、個人ヒトラー政権が、
ヒトラーがオファーした内容も
含めて、具体的にどのような
交渉をいつの時点でしていたのか
ということについて、正確に
歴史書として残らないと
ちょっとない思うのだ
うまくいっていれば、
ドイツの旧権益などが回復した
現時点で、それ以上の安全拡張は
求めないということであれば、
ここヨーロッパにおける
戦争というは回避できた
可能性も全部あったと
思うのだ
しかし、挑戦
ポーランド問題を引き金にして、
アメリカとその先にある
アメリカ、ルーズヴェルト、
チャーチルはここで戦争を
開始するということなのです
逆というと、この問題が
解決したら、ドイツを
相手に戦争ができないのだ
それでは、やはりここの
チャンスが必要だったんだ
もしも、例えば、
今の北方4島の回復
やはり、4島論、2島論、
あるいは交渉の結果論と
いろいろ出てくると思うが、
それでも問題がある
はとても難しい問題なのだ
そうでなく、ダンツィヒは
90%以上の国民がドイツ人で
あったから、国民全員
「返されるのは当然だ」
と思ってたわけなのだ
その中でヒトラーは国民に
対する説明責任を負いながら、
「ポーランドが港を運営」
「それでも構わない」
というところまで条件として
出していたのだ
これからの話をすると、
「おまえはヒトラーを」
「事件するのか」という、
非常に単純な意見も出てます
くるが、
「そこまで譲歩してでも」
ポーランドと戦争を避けたかった」
という現場があったことを、
とりあえずわからないと
いけないのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしいる