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四つ目じゃ

どうも村田です

次にクエスチョン4だが、

1940年の5月まで、ドイツは

イギリスとの休戦協定を求め、

たびたびいろいろな試みを

していたし、有名なのは

ルドロフ・ヘスの

スコットランドへの亡命なども

あったのだ

メッサーシュミットに乗って

単独で行ったりしていた

ということがあるのだ

ドイツがポーランドに宣戦布告、

また侵入した1931年の9月1日

アメリカの中にもドイツと

戦争をしたくない人たちが

いたのだ

当時のルーズヴェルトも

非参戦ということを公には

言っていたのだ

おそらくルーズヴェルトも

戦争が始まってイギリス、

フランスも参戦したという状況が

あっても、それをやったのは

ルーズヴェルト政権だという

のが後で分かるのだ

しかし、当時の人たちは

分かっていないから、

ルーズヴェルト政権が仲介に

入ってくれるのではないかと

思った人も当然いるわけなのだ

その中の1人が、

W・R・デイヴィスという人で

このデイヴィスという人は

独立系の石油業者なのだ

顧客にドイツ系の会社が

たくさんいたのだ

なおかつ、ルーズヴェルトの

支援者でもあったのだ

彼は、9月15日午前11時45分に

ホワイトハウスに行き

「私がドイツに行って講和交渉

というか、アメリカが仲介に

入って休戦させるための交渉を

してくる。行かせていだだきたい」

という、会議があったわけなのだ

その会議でルーズヴェルトは

オーケーを出しているのだ

それで、彼はオーケーに基づいて、

すぐにドイツに飛んだのだ

ドイツには直接飛べないから、

いろいろ苦労して不思議な経路を

通ってベルリンに入ったわけなのだ

そのときにゲーリング元帥と、

軍で言えばナンバー2くらいの

者だと思うが、複数回の交渉をして、

ドイツもアメリカが仲介に入って

くれるのなら、当然真剣に考える

ということで、オーケーを出して

いるのだ

それが

「デイヴィスの秘密交渉」

というものなのだ

それを受けて、デイヴィスは

すぐにワシントンに帰って、

それを報告して、

ルーズヴェルト政権に仲介交渉に

入るように話をするつもりだった

わけなのだ

ところが、なぜかルーズヴェルトは

デイヴィスと会わないのだ

これが不思議なことなのだ

とりあえず行かせるという、

ダミーの動きをすることまでには

同意したのだろうけれど、

おそらく仲介交渉に入る気持ちは

もともとなかったと思うのだ

少なくとも、その

W・R・デイヴィスという人物の

ベルリンでの対ナチス交渉において、

ナチスは、

特にゲーリングは、自分自身が

ワシントンに行ってでもいいから、

世界的な平和を構築するために

交渉の用意があるということまで

言ったわけなのだ

だから、ナチスドイツは、

もともとは早く対ソ戦を

始めたかったのだ

イギリス、フランスが思いも

かけず対独宣戦布告してしまった

けれど、それをアメリカの力で

止められればこれに越したことは

ないということで乗ったという

事実が書かれているのだ

これは日本の歴史家がまったく

紹介してこなかった事実なのだ

これが大事なのは、基本的には

国務省文書なのだ

国務省の生の文献なのだ

よく、第一次史料に当たらなければ

うんぬんと言う人がいるが、

少なくとも国務省の第一次史料に

当たって、間違いないと思うのだ

国務省といえば、外交史の

一番の本流の史料がある

ということなのだ

9月15日11時45分、午前中としか

書いていないのだが、ネットで

ルーズヴェルト大統領の毎日の、

Daily(デイリー)の日程表が

検索できるわけなのだ

それで、9月15日の彼の日程表と

いうのを見てみたら、やはり

午前11時45分にこの

W・R・デイヴィスという人との

会議がされているが確認できたのだ

それと、例のヘスの決死行だ

これは、日本の歴史家はもう少し

勉強してというか、史料を当たって、

あのヘスの決死行とは一体

何だったのかというのも語る

べきなのだ

これは1941年の5月だったと

思うが、ヘスというのは

ナチスドイツの副総統なのだ

ナチスナンバー2で

アメリカで言えば、副大統領

なのだ

その人間は非常に優秀なパイロットで、

ベルリンの北の空港から日を選んで

夕方に北に飛び立つのだ

ずっと北に進んで、北海を北上して、

北緯54度から55度付近の所で西に

方向を変え、真西に向かって、

スコットランドの上空でパラシュート

降下をするのだ

パラシュート降下をした、

彼の目的は、スコットランドの

空軍の将軍に会うためなのだ

スコットランドの空軍の将軍が

貴族出身だったのだ

それで、ジョージ6世との強い

コンタクトを持っている人だったのだ

「もうチャーチルは言うことを聞かない。

とにかくわれわれイギリスとの戦争を

止めたいというメッセージをまったく

聞かない。それならもう私が

行くしかない」ということで

決死行をしているわけなのだ

それでパラシュートで降りて、

残念ながら、足をくじいて

捕まってしまうのだ

捕まった後、結局そのことは

チャーチルにも報告されるのだ

けれど、チャーチルは会おうと

しないのだ

会おうとせずに、スコットランド

の郊外にあるブキャナン城という

所に監禁してしまうのだ

そういう事件があった

にもかかわらず、基本的には

釈明史観の歴史書では気が狂った

人間がただ飛んで行ったという

だけの話にしているのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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