どうも村田です
最近見た、映像がすごく
下品な所が多かったから
あまり「皆さん見てください」
と言えるものではないが
『26世紀少年』という
映画があるのだ
海外の映画で日本語訳
されたのが『26 世紀少年』で、
もともとの原題は
『Idiocracy』というのだ
デモクラシーをなぞって
イディオクラシーなのだが、
要するにデモクラシーの
デモというのは、たくさん人が
いる民衆という意味で、
民主主義のことなのだ
イディオクラシーだから、
民衆がみんなアホになって
民主主義になったらこんな
世界になるという感じなのだ
その映像の中にも社会で
どういったことを政府が
やっているかといったときに、
これに当たるものがたくさん
出てくるのだ
日本は、宗教とか神様とかを
語る段階で、みんなアレルギーが
発生してしまうけれど、外国では
『聖書』は普通に各家庭にあって
みんな読んでいるから、この666
というのは昔から警戒はされて
いたのだ
今回のこのダボス会議の中では
666までは全然見えないけれど、
そこに至るまでの経緯の何段階目
かに入ってしまったような
気がするのだ
むしろ、これからは人間以上の
権威が彼らにも必要になってくる
から、おそらく出すだろうし、
出す予告として寄稿者の発言、
要するにユヴァル・ノア・ハラリの
発言があったのではないのかと
思えるのだ
あと、作家の仕事がこれから
なくなると思うのだ
例えば
「気象の変化に伴う中国の
変化に関して本を1冊分
8万文字で書いてください」
と言ったら、
AIがいろいろな情報を集めて
きちんとつくるからだ
そういう時代になっているので、
このAIがいかに人間らしく
なってきて、ロボットがいかに
人間に似た見た目になって、
人間以上の知識をその場で
パッと反射的に披露できるか
は、それほど時間が掛からない
と思うのだ
問題は、我々自身がそれに
だまされないように、
「これはあくまで俺たちが入力した
情報から取ってるだけなんだよ。
それをすごい反射でものすごい
スピードで出してるだけだから
神様じゃないんだよ」と
いうのをあらかじめ分かって
おかないと、みんな
「俺は神様なんか信じてないよ」
と言いながら、
神様ぐらいの信頼をAIに与えて
しまってAIなしには生きて
いけなくなって、結果AIが神様に
なるというような流れができて
くるし、その流れをダボス会議も
これから必要としているのでは
ないかと思うのだ
ただ、AIは当然便利な面も
あるのだ
それをどういうふうに、人間に
とって人間尊重主義という形で
われわれが使っていくかだと
思うのだ
少し前にインタビューをした
先生がいて、ゲント大学の
マティアス・デスメット先生
という方で、全体主義の心理学
の話なのだ
その話の中で先生が
「人間と人間の生身の
コミュニケーションで、
どう私たちの体に何が
起きているか」という
話をしていたのだ
そうすると、
「会話を分析したらすごく
面白いことが起きてる」と
言っており、詰まるところ
人間は論理だけの生き物では
ないという話をしていたのだ
言葉とか論理は、知性とか
知識とか知というものが
あったときの論理で表せるものは
その入口にすぎなく、
もっと大きなものは言葉でも
表しきれないという言い方を
していたのだ
それが武士の精神道とか、
そういう「道」の解説も
されていてすごく面白かった
のだが
人間だと例えば今、急に
パッと会話をやめたら
やめられたときの反応が、
論理的ではなくすごく
速いのだ
0.2秒で、反射神経で動く
より、会話でのお互いの
やりとりの方がもっと
速いらしいのだ
体の中の血流とか、物事を
考えている脳の活性化
している場所と、話を聞いて
いるときに活性化している
部分が一緒らしく、有機的に
すごく反応し合っているらしい
のだ
AIを理解しようと思ったとき
の生身の人間の
コミュニケーションと、
それを生体反応がないAI
とのコミュニケーションで
考えたときの違いは、
論理ではない私たちの体の中で
起きていることの違いというが、
AIを理解するときに参考になる
のかなと今いろいろ考えて
いるのだ
AIは本当にいいことを言って
くれるのだけれど、血が
流れていないから、そこに
ないものがないというか、
言葉にならないものがないのだ
要するに、AIに完全に利用で
はなく依存してしまって、
人間と同じようにやっている
ときに、ないものがないものに
こちらが反応していると、
だんだんこちらの感覚も
おかしくなってくるのでは
ないかと思うのだ
次回に続く
今日はこのくらいにしといたる