どうも村田です
今日は昨日の続きで
現行教育の再検討だ
もう一つ、日本の学校教育では、
とかく「個性の尊重」ということが
強調されてきたのだ
「個性の尊重」 はもちろん
良いことだが、 しかしそれは自分の
個性の尊重ではなく、他人の
個性の尊重であるべきなのだ
他人の個性を尊重するということは、
すなわち、自分の個性を制約する
ということなのだ
「自分の個性を尊重する」というのは
人間の本能的な部分なので、教え
なくても自ずとそうなっていくものだ
ここで大切なのは、
「相手の個性を尊重して、自分が
やりたい放題にしないように制約を
しなければならない」と教えることだ
しかし日本では、その制約をする
ことを説く教育が非常に欠けている
そして、「みんな仲良し」が
一番良いことだと教え、そうで
なければならないと強要しよう
とさえするのだ
「みんな仲良し」ということは、
世の中に悪い人間は存在しないのだ
と言って、 「悪」の存在を否定
しているわけだ
この人も、その人も、あの人も、
みんな仲良し。
極端な例を言うなら、ライオンも
羊も仲良しだと言っているような
もので、いい人も悪い人も、
警察官も泥棒も、みんな一緒に
仲良くならなければならない
という考えなのだ
このような日本の教育現場を見れば、
日本はいったいどんな日本人を
作りたいのか、ひいてはどのような
国家を作りたいのかというものが
見えてくる気がするのだ
今の日本の国の理想像というのは
ディズニーランドではないかと思うのだ
ディズニーランドでは、どんな動物も、
ライオンも羊も兔も狼も、みんな
仲良く一緒に暮らしている
お伽の国なのだから
しかし、現実世界で、肉食動物も
草食動物も仲良く一緒に暮らさ
なければいけないとしたら、
肉食動物は飢えてとっくに
死んでしまっている
ディズニーランドのような、
そんな世界はあり得ないのだ
表面上だけを見れば優しい世界に
見えるが、実はそれ以上に残酷な
話はないのだ
その残酷さについて、日本の教育は
敢えて触れようとしない
日本人はどんなに年を取っても、
少年っぽい、 少女っぽいという
ところがあるが、それはいい所
でもあるけれど、 それはつまり
どんなに年を取っても、学生気分が
抜けきれないということでもあるのだ
それから、自分以外のことには
興味のない日本人が増えていると
感じるのだ
自分さえ会社の中で安住することが
できれば、会社の外でどんなことが
起こっていても関係がない
どんな荒波であろうと、自分が
乗っている船の中が安全であれば、
自分とは関係がない
そのように考える日本人は多い
だから、日本人は政治に関心が
ないのだ
国際政治や将来のことについて
関心がなく、関心を持てる範囲は
自分の会社だけという日本人が、
けっこうな割合で多いのだ
国民がそうだから、日本の政治家も、
国際政治について主張しても票に
ならないから、重大な問題であるのに、
まったく関心がない
代わりに、非常にちっぽけな、
ちまちまとしたどうでもいいような
問題ばかり一所懸命取り上げるのだ
官民問わず、くだらない
問題ばかりに興味があって、
今の世界情勢の中での日本や、
その将来については、まったく
関心がないのだ
どうして日本がそうなってしまった
かというと、正義感がものすごく
欠けてしまったからだと思うのだ
正義感がなければ冒険心も湧いてこない
冒険心がないと、どういう人間になるか
最近の子供たちは、なんと小学校
低学年の子どもがよく、
「まあ、この方が無難かな」と言うのだ
小学校の低学年の子が「無難」という
言葉を使うのだ
「無難」というのは「難なく」と
いうことで、つまり、 「安全」と
いうことだ
もう小学生の時から安全な道を
進もうとしているのだ
そして日本の教育現場では、
先生という知識のある人間が、
子どもに非常に媚びる傾向がある
知識のある人間が知識のない人間に
合わせているのだ
ちょっと前に、日本で行われていた
「ゆとり教育」がまさにそれなのだ
知識のある人間が知識のない人間に
合わせていたら、教育というものは
できないのだ
ならば、 家庭教育はどうなって
いるだろうか
日本の家庭教育を見ていると、
父親不在だ
今の日本の父親は母親よりも優しい
父親不在ということは、つまり
怖い存在がないということだ
人間は、怖い存在がなければ、畏敬の
念が失われ、畏敬の念がなければ、
人間は成長しないのだ
なぜなら、怖い存在がなければ、
自分が一番偉いということになり、
自分が一番偉いと思っていれば、
それ以上の成長はないからだ
日本の教育現場では「怖い」ことも
タブーで、一番強調しているのは
「優しさ」だ
とにもかくにも
「優しい人間になってほしい」と、
この言葉が学校の教育現場で一番
言われているのだ
しかし、優しさというのは、
その後ろに強さがなければ本物
ではないのだ
つまり、自分にそれなりの自信と
力がなければ、本当に人に優しく
することはできない
本当の優しさを持っている人
というのは、自分の強いところも
見せられるし、自分の弱いところも
見せられるのだ
強さがなければ、優しくなれない
しかし、今の日本では優しさ
ばかり強調されて、力の存在が
無視されている
「善」ばかり強調して、「悪」を
無視するのだ
現に存在するものを無視して、
あってはならないものかのように
タブー視する。これでは、 「悪」
に立ち向かう正義感も出てこないし、
力も湧いてこないし、冒険もできない
結局、みんな無難な道を選ぶように
なってしまうのだ
今日はこのくらいにしといたる