どうも村田です
台湾人はいったい日本と
日本人をどのように捉えて
いるのか
これを知ることは、日本人に
とって、とても大事なこと
だと思うのだ
日本と台湾は、中共という
脅威の前で、運命共同体
たらざるを得ない
もともと地理的、歴史的な
繋がりもあるが、台湾人が、
非常にだらしない今の日本を
戦前、戦中の日本と比べて
どのような落差で見ている
のだろうか
台湾人の日本に対する見方
というのは世代によって異なる
日本統治時代に日本の学校教育
を受け、日本人と一緒に生活
してきた戦前世代、それから
戦後生まれの、蒋介石の洗脳
教育を受けた世代、そして
さらに李登輝政権下の自由な
時代に生まれ、日本時統治代に
ついて客観的に評価する教育を
受けた世代
これらの世代の違いによって、
日本に対する見方は異なるのだ
日本の統治を受けた世代は、
日本を「心の祖国」と表現している
日本統治を受けた、かなりの数の
台湾人がそのように日本を表現
している
なぜ彼らは、そのように思って
いるか。それは、戦後、日本が
引き揚げた後、シナからやって
来て台湾を統治したあの連中の
国を祖国と認めたくない、
と思うからだ
では、台湾は祖国ではないのか
というと、台湾は終戦当時、
まだ国という形にはなって
いなかったので、台湾を祖国だと
思う感覚がなかったのだ
台湾人自身が作った、 台湾人に
よって統治されている体系的な国、
国家体制というものはなかったのだ
この世代は、2.28事件とそれに
続く戒厳令下の白色テロの時代に、
チャイニーズの残虐さを経験して、
チャイニーズの民度の低さ、レベルの
低さというものを目の当たりにしたのだ
それと、それまで日本から受けてきた
民度の高い、 レベルの高い教育と
比べられる世代で彼らにしてみれば、
一流の国に統治された後三流の
野蛮人の国に統治されたわけなのだ
それから、終戦と同時に日本人で
なくなるや、 今度は突然、
「お前たちはチャイニーズだ」と
言われ無理やり国籍を押しつけ
られたことに対する反感もあるのだ
彼らは、日本を「心の祖国」と思い、
日本文化に対して郷愁を持っている
世代でこの世代は戦後世代の台湾人に、
日本人のサムライ的な部分を伝えたのだ
現代の台湾人も日本人に対してそういう
イメージを持っている
彼らの日本統治経験が、今の親日的な
台湾を形作る基礎になっているのだ
彼らが経験した日本的な部分、そして
彼らが「日本精神」
(リップンチェンシン)
と名づけたものはどういうものかと言えば
一言で言えば「サムライ的なもの」だ
そこには、規律があり、清潔であって、
正義感があって、冒険心がある
弱きを助け強きを挫く義侠心が、
当時の日本人にはあったのだ
彼らがそういう日本人の日本精神を
誰から感じ取ったのかといえば、
それは台湾の建設に多大な貢献を
した一流の人材ではなくて、もっと
身近にいた、台湾人のすぐ近くにいた
日本人の警察官と学校の先生からなのだ
当時、 日本が台湾のインフラ整備に
投入した人材は全て一流で台湾近代化
の基礎を作った民政長官の後藤新平
後藤新平の要請により台湾にサトウキビ
産業を興した新渡戸稲造
台湾の教育普及に携わった伊澤修二
さらに、その伊澤修二の要請を受けて
台湾にわたり、犠牲となった六氏先生
台湾の上下水道を改良した浜野弥四郎
烏山頭ダムを作り、台湾南部の嘉南平原
を肥沃な土地に変えた八田與一
台湾の米を改良した磯永吉
ぜんぶ一流なのだ
しかし、台湾人が一流の人材を尊敬
したから親日感情になったのかといえば
そういうわけではないのだ
台湾の庶民にとって、彼らは偉すぎて
雲の上の存在だった
たしかに彼らはインフラを整備し、
教育や産業を発展させ、台湾を
近代化さたすごい人たちだとは
思うけれども、それは親近感を
伴わない尊敬の感情なのだ
台湾人の親日感情の原点にあるものは
尊敬という感情でそれは親近感を伴う
尊敬なのだ
この尊敬という要素はとても大事で、
人と人の間の友情には、尊敬という
ものがなければならない
男女の間の愛も、そこに尊敬の感情が
なければ本物ではない
台湾人の日本人に対する尊敬の原点
というのは、じつは警察官と学校の
先生なのだ
当時の台湾における警察官は、
単に治安を維持するだけではなかった
地域産業の振興から教育の普及、
衛生検査の実施に至るまで、つまり、
当時の日本政府のすべての政策は
警察官を通じて遂行されたのだ
とくに原住民の小さな村では、
派出所の日本人警察官が学校の
先生を兼ねていたのだ
法的権限も持っているので、
台湾人にとってはこわい存在で
また、当時の学校の先生も台湾人に
とってはこわい存在だった
日本統治時代の台湾人が口々に
言うのは、
「学校の先生と警察官はとてもこわかった」
ということだ
ところが、一番尊敬しているのも、
学校の先生と警察官だと言うのだ
彼らは、厳しいけれども愛情を
もって接してくれた
しかも台湾人が一番よく接した
日本人でもあった
偉い、世界一の人材ではない
台湾の隅々にいる警察官と学校の先生
なのだ
終戦で日本人が去った後も、台湾人は
彼らにずっと感謝し続けたのだ
そして、台湾経済がやっと安定期を
迎えた1960年代以降にはかつて
教え子だった台湾人が日本人の先生を
台湾に招いて、あちらこちらで同窓会が
行われていたのだ
尊敬が感謝になり、やがて親日感情に
なったのだ
だから、世論調査では常に台湾人の
一番好きな国は日本なのだ
台湾人の親日感情は本物であり、
その親日感情の原点にあるものは
普通の日本人の中にある日本人気質
への尊敬、あこがれなのだ
日本人気質というものは、まじめで
誠実で裏表がなく狡猾ではない
内面も外面もきれい、正義感も
冒険心もあるというものだ
そういう気質を、ほぼすべての
日本人に台湾人は感じたのだ
日本人としては、 ごくふつうの、
特別がんばったわけでもない、
ふつうの日本人のふるまいを
台湾人はすごいと感じ自分も
そうなりたいと思ったのだ
現代を生きる我々は先人の
ように真の日本精神を発揚し
台湾人にあこがれを抱き続けて
もらえるような人間形成をすべき
だと改めて感じるのだ
今日はこのくらいにしといたる