Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

3つの大罪を知りなはれ

どうも村田です

しつこいようだが

地球温暖化は妄想である

印象操作を打ち破るために

毎日書いてやろうかと思う

今日もクソ暑いからテレビで

そのような印象操作を繰り返し

報道している

脱炭素は不必要なのだ

暑いのは間違いないがコンクリート

やエアコンの暖気が逃げずに留まって

いることが原因だ

地球環境を大事にすることは良いが

捏造の温暖化論で利権を貪るのが

許せないのだ・・・

暑いせいか温暖化論打破にも

こちらも暑くなってしまった

話を戻すことにする

日本はハワイ真珠湾を攻撃したが

1942年(昭和 17年)春の緒戦までは

勝利して占領地を拡大したものの

同年6月のミッドウェー海戦での敗北を境に

米国を主力とする連合軍による反撃に遭い

次々に制海権、制空権を失う

1944年7月にはサイパンを奪われ

本土空爆を許し1945 年3月には

東京大空襲と言われる無差別空爆が行われる

4月には沖縄本島に上陸され激しい

戦いの末破れた

その後8月、広島・長崎の原爆投下で

大きな被害を受けソ連の対日参戦に

至りポツダム宣言を受諾し戦争が終わった

実は日本国内ではサイパン島の陥落以降

大東亜戦争の帰趨は決したとし

戦争終結への動きが模索されるようになる

近衛文麿元首相や岡田啓介らの重臣グループが

和平運動を展開し45年2月には

近衛は昭和天皇陛下に対して「近衛上奏文」を奏上する

これは「天皇制維持のため、日本の共産化を防ぐ」

ために早期の停戦を訴えたものだった

4月に成立した鈴木内閣の外務大臣

東郷茂徳は日ソ中立条約がいまだ有効であるから

としてソ連を仲介とした和平交渉を行おうとした

東郷は近衛文麿に特使を依頼し特使派遣と和平斡旋

の依頼をソ連外務省に伝えた

しかし45年2月のヤルタ会談でソ連は

対日宣戦ですでに合意しており

日本政府の依頼を受ける気はなかった

その後7月のポツダム会談で、ソ連は米国

・英国に近衛特使の件を知らせたうえで

その件を放置することにしたと言われている

一方でソ連の仲介を期待していた日本政府は

ポツダム宣言に対して当初「黙殺」する方針を

取り続けた

その結果広島・長崎への原子爆弾投下

続くソ連対日参戦を回避することができなかった

原爆による死亡者(5年後までの統計)は

広島で約20万人、長崎で約14万人に及ぶ

ソ連対日参戦においても関東軍はほとんど

抵抗できずに敗北日本側の死傷者は10万人

シベリアに抑留され捕虜の人数が 60万人

と推計されている

日本政府は8月10日に「国体護持」を条件に

ポツダム宣言受諾を決定した

1945年(昭和 20年)5月にはドイツが無条件降伏

連合国にとって最後の敵国となった日本への対応と

戦後処理を話し合うため米国・英国・支那・ソ連の

首脳がポツダムに集まり会議を開く

そこで発表されたのがポツダム宣言で

日本に対する無条件降伏を勧告するものだった

解せないのは無条件での降伏を

日本に対しても求めたことだ

それはルーズベルトの強い個人的な意向

だったと言われている

1943年1月のカサブランカ会談で

ルーズベルトは枢軸国に対し

無条件降伏を要求する方針を

突然発表した

無条件降伏の要求に合理的な理由が

特にあるとは思えない

だからフーヴァーは何でこういう無理なことを

言うのかこんなことを言っている

から戦争が長引くんだと怒りを露わにしている

ドイツに対しても同様でウェデマイヤーは

英米が掲げた日独に対する無条件降伏の要求を

戦争を不必要に長引かせかつ必要以上により

残酷なものにしたとプロの軍人らしく

舌鋒鋭く批判している

早い段階でやめることができたのに

無条件降伏という無茶なことを求めるから

戦争による破壊が行きつくところまで行ってしまった

ドイツは、国家、政府がなくなるまで完全に

破壊しつくされ首都ベルリンまで陥落したのだ

そこまでやる必要は果たしてあったのか

戦争は始めたら早く終わらせなければ

ならなかったのだ

1945年3月にフィリピンが陥落した後は

日本は有効な反撃は何もできなくなっており

勝ち目はなくなっていた

5月のドイツ降伏以降、日本は降伏の機会を

ずっと待っていたのでありそこで撃ち方やめに

すればよかった

ドイツ同様無条件降伏を突きつけられて

しまったため日本は最後まで戦わざる

得なくなったのだ

この無条件降伏の要求さえなければ

原爆投下はもちろん沖縄戦も避ける

ことができたというのがフーヴァーの

主張なのだ

日本側が出していた条件は

「天皇の地位の保全」だけで

米国が天皇の地位を保証さえすれば

日本はすぐにでも降伏して早く戦争を

終わらせられた

多くの犠牲を回避することができたのだ

無条件降伏という考えにルーズベルトも

トルーマンもとらわれていたとしか思えないのだ

ルーズベルト大統領が犯した

3つの大罪を挙げるとすれば

ひとつ目は「日米戦争は時の米国

大統領ルーズベルトが日本に向けて

仕掛けたものであり日本の侵略が

原因ではない」ということ

ふたつ目は 41年の日米交渉で

ルーズベルトは日本側の妥協を受け入れる

意図は初めから全くなかった彼は日本側の

誠実な和平の努力をことごとく潰した」

そして3つ目に米国は1945年に

「原爆を投下せずに日本を降伏させる

ことができた」ということだ

「原爆投下の罪は米国人の良心の上

に重くのしかかっている」とまで

フーヴァーは言っている

米国人のフーヴァーから見た

本の内容のため米国側から見た

怒りが書かれている

我々現代を生きる日本人とすれば

先の対戦で先人たちがどのように

考えどのように動いたかは書物

や記録でしかわからない

しかし言えることは米国人ですら

日本が始めた戦争ではない

日本の侵略が原因ではない

連合国に追いつけられ座して

死を待つくらいなら戦って

一矢報いるの精神だったと思う

と述べているのだ

これは我々日本人が決して忘れては

ならないことであり先人に対し

感謝すべきことなのだ

日本人の誇りと尊厳を守り国のために

散華され更には國體護持を貫きそれを

敗戦しながらも認めさせその國體のおかげで

その後の日本発展につながったのだ

英霊に対し今日も感謝の誠を捧げます

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me